「スケッチブック」における<月の供物>とは?

P・D・ウスペンスキーの『奇蹟を求めて』には、次のようなグルジェフの言葉が記録されている。
「地球上に生きるすべてのもの、人間、動物、植物は月の食料なのだ。月は地球上で生き、成長するものを食べて生きている巨大な生き物である。」(邦訳P142参照)

奇蹟を求めて―グルジェフの神秘宇宙論 (mind books)

奇蹟を求めて―グルジェフの神秘宇宙論 (mind books)

この奇怪な考え方は、何を指し示すのか。
グルジェフのシステムでは、拘束する法則の数が少ないほど<絶対>に近く、拘束する法則の数が多いほど<月>に近いということになっている。
<絶対>−全宇宙−全太陽−太陽界−惑星界−地球−月の順で、<絶対>の側に近づくと自由になり、月の側に近づくと「機械」に近くなる。
「月の食料」とは、『この調子でやってゆくと、君は「機械」のままで終わってしまうよ。』というグルジェフのメッセージなのだ。
世のグルジェフィアンはどうなのか知らないが、グルジェフはSF的なたとえ話で、解法まで含めた実存哲学を表現した人だと、私は考える。(他の実存主義者は、問題を立てたが、解法を示していない。)これをSF的なたとえ話としないとすると、グルジェフ教となってしまう!
コリン・ウィルソンは、グルジェフの「機械」という概念を、「ロボット」という言葉で捉えなおそうとした。
例えば、PCのキーボードを打つ。最初、慣れないうちは、どこが「あ」なのか、探しながら打つから、時間がかかる。これは意識的な行為だ。そのうち、慣れると、どこか「あ」なのか考えなくても、打てるようになり、動作が速くなる。これは「ロボット」の働きだ。「ロボット」は、オートマティツクにやってのける。
しかしながら、「ロボット」には欠点があって、決められた通りのことしかできない。「ロボット」は、人間の心と体にこわばりを与える。ライヒの「性格の鎧」だ。そうなると、人間的な喜怒哀楽がなくなり、情熱とは無縁になる。生命の躍動とも無縁になる。そして、突発事態に対処できなくなる。
グルジェフは、月の食料というメタファーを使って、人間に「機械」であることを止めよというメッセージを発したのだ。
「スケッチブック」は、ジョン・レノン的な平和の夢想を抱く若者の前に立ちふさがるさまざまな障壁を描こうとしている。
「月の供物」というメタファーで、既成のルーティーンで思考する人間を表現しようとしたのだ。既成の思考方法(例えば、パワー・ポリィティックスや二項対立に基づく差別的な思考だ)に縛られているうちは、新しい夢想の現実化はできない。
既成思考を打ち破れ!
これが言いたかったことである。
しかし、これだけ解説を要するポップ・ミュージックって、一体なに?
この「スケッチブック」については、ビートルズの楽曲の歌詞やフィリップ・K・ディックのSFまで動員して説明したばかりだというのに、まだ解説が足りないとは?
POPって、説明なしに伝わらないといけないのに。
今後は説明不要な歌詞を心がけることにしよう。