無頭人とは

(以下は、ミクシィの「ジョルジュ・バタイユ」のコミュニティに書いた原稿です。)
秘密結社「アセファル」とは何であったのかを知るためには、ジョルジュ・バタイユが、ピエール・クロソウスキーらと出していた雑誌『無頭人(アセファル)』を通読する必要があります。
これは、邦訳が出ており、ジョルジュ・バタイユ他著、兼子正勝・中沢信一・鈴木創一訳『無頭人(アセファル)』(現代思潮社、エートル叢書4)ISBN4-329-01004-6、となっています。[現在、現代思潮社の刊行物は、現代思潮新社に引き継がれています。]
この雑誌は、ニーチェファシズム的解釈から奪還し、権力に叛逆する武器に変えることを主たる目的としていました。
但し、雑誌『無頭人(アセファル)』は、表に出ている部分であり、この雑誌の執筆者の全員が、秘密結社「アセファル」という裏の部分に関わっていたわけではないようです。
岡本太郎についてですが、以前講談社文庫に納められていた『画文集 挑む』の後半のエッセイに、「バタイユとの出会い」という文章が収められています。これによると、マックス・エルンスト岡本太郎に、反全体主義反スターリン主義の集会「コントル・アタック(反撃)」誘い、そこでアンドレ・ブルトン、モーリス・エーヌ、そしてバタイユと出会ったと書いています。ここで、岡本はバタイユ主催の「聖社会学研究会」を知り、そこにクロソウスキー、レイモン・アロン、ミツシェル・レリス、カイヨワ、ド・ルージュモンらが集っていることを知ります。(これについては、バタイユ他著『聖社会学工作舎参照)そして、バタイユはそれに留まらず、「痛みのない革命」のための秘密結社を結成し、岡本らはパリ郊外のサンジェルマンの森で誓いの秘儀に集まったとあります。しかし、岡本は秘密結社にすら、また別の「権力への意志」を感じ取り、この運動から離脱するとバタイユに伝えたといいます。(その後もバタイユとの友情は続いたようです。)
http://www.geocities.jp/le_corps_sans_organes/page039.html