サンリオSF文庫蔵書目録













これと以前紹介したフィリップ・K・ディックの本をあわせると、すべてということになります。
サンリオSF文庫だからといって、興味のない本には手を出していません。
順を追って見ていくことにしましょう。
アーシュラ・K・ル=グィン、この人は笠井潔の『機械じかけの夢〜私的SF作家論』の影響で読みました。『夜の言葉』というのが、論じられていた題材だったのです。『女の千年王国』は、フェミニズムをテーマとしたSF作品集です。フェミニズムは、上野千鶴子と大越愛子の影響もあって、関心のある問題領域です。アーシュラ・K・ル=グィンは、フェミニズムエコロジーとファンタジーの三位一体というかんじの人ですね。上野千鶴子は、ラディカル・フェミニズム、エコロジカル・フェミニズムマルクス主義フェミニズムという分類をし、自身をマルフェミに分類していたわけですが、上野の分類で言うと、ル=グィンはエコフェミなんでしょうか?私の場合、評論を読んで、論じられている対象に手を伸ばすというケースが結構多いです。
スタニスワフ・レム、『天の声』については、作品に込められた人間の認識論的限界と人間中心主義世界観の批判というテーマに興味を持ちました。『枯草熱』はミステリ的な物語の構造に惹かれました。
ブライアン・W・オールディスですが、ニューウェーブSFの系統の人です。『世界Aの報告書』は、アラン・ロブ=グリエもびっくりの反小説(アンチ・ロマン)の実験をしています。視線小説とでもいうのでしょうか。『手で育てられた少年』は、ポルノグラフィックにしてピカレスクな観点から見た教養小説というかんじです。
ポブ・ショウの『メデューサの子ら』は、ゴミに出ていたのをついつい拾ってしまった奴です(笑)。
『ベストSF1』ですが、J・G・バラードの「下り坂カーレースにみたてたジョン・フィッツジェラルドケネディ暗殺事件」が入っています。濃縮小説ですね。『クラッシュ』の短編版です。『クラッシュ』は、交通事故における生と死のせめぎあいにエクスタシーを見出してしまった人々の狂気と錯乱を描いた問題作で、クローネンバーグが映画化しています。
ドナルド・バーセルミの『口に出せない習慣、奇妙な行為』は、ポップ文学のさきがけですね。言葉の使い方に非凡なものを感じます。表層だけで、深層がない世界ですね。意味への不信、意味という抑圧への侮蔑とでもいうのでしょうか。結論よりも、ここに至った過程のほうに、関心がいきますね。これを読む前に、高橋源一郎の『さよなら、ギャングたち』や『ジョン・レノンVS火星人』を読んだのですが、読む順が違うと、印象が違ったかもしれません。
ジョン・バースの『フローティング・オペラ』は、メタ・フィクションとはなにかを知るために手に入れました。自分としては、メタ・ミステリの方が好きなんですが。
ロジェ・カイヨワの『妖精物語からSFへ』。シュルレアリストグループに一時属し、その後バタイユとともに聖社会学研究会にいた人ですね。荒俣宏の解説がついているというのも、魅力的です。
オルダス・ハックスリイの『猿とエッセンス』。広島と長崎の原爆投下に衝撃を受けて書かれた核時代における全体主義とテクノロジーの悪夢を描いた傑作です。
イアン・ワトスンの『マーシャン・インカ』と『ヨナ・キット』。イアン・ワトスンは、もっと評価されていい作家だと思います。表面は現代文明の批判なんですが、意識を掘り起こし集合的無意識の古層に降りてゆくという構造があります。
クリストファー・プリースト、彼はイアン・ワトスンのライバルです。イアン・ワトスンが理論でガリガリと攻め、最後はグルグルドロドロで落とすとすると、プリーストは、SF的想像力を生かし、ファンタジーにまで高めるという方向性です。『アンティシペイション』にも、プリーストの短編が入っています。
フリッツ・ライバーの『妻という名の魔女たち』は、巻末の大瀧啓裕の解説が凄いです。『ビッグ・タイム』は、ヒューゴー賞受賞作。
ピーター・ディキンスンも、大瀧啓裕による翻訳。だから、入手したというところがあります。
アンナ・カヴァンの『氷』『愛の渇き』『ジュリアとバズーカ』。彼女はフランツ・カフカの系統(孤独の文学)と、ニューウェーブSFの極北(オールディス評)という性格があると思います。ヘロインがもたらした文学空間なのですが。
デイヴィッド・リンゼイの『アルクトゥールスへの旅』『憑かれた女』。『アルクトゥールスへの旅』は、コリン・ウィルソンが最大級の評価をした二十世紀の幻想文学の傑作です。
ウィリアム・S・バロウズの『ノヴァ急報』『爆発した切符』。カット・アップという前衛的手法を駆使したSF作品。一時期、東京圏での古書価格が、万の桁にいったらしいのですが、帯つきの『ノヴァ急報』ってどうだったんでしょうか。
『最新版SFガイドマップ』、サンリオSF文庫や早川文庫の絶版本がほしくなる病の元凶というべき本。
アントニイ・バージェスの『一九八五年』(サンリオ文庫)は、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』への批判です。消防夫のストライキの日に、放火が続発し、死者が多数発生。被害者の家族が組合と戦うが……というテーマ。小説と評論の組み合わせになっています。また、『どこまで行けばお茶の時間』は、遊び心にあふれた前衛的な作品。
トマス・ピンチョンの『競売ナンバー49の叫び』(サンリオ文庫)。現代アメリカ文学で、ピンチョンが最も秀でているように思われます。49は、仏教における転生までの四十九日と関係しています。
ジョン・アーヴィングの『ガープの世界』(サンリオ文庫)。たぶんサンリオの中では、比較的ヒットした本ではないでしょうか。
コリン・ウィルソンの『迷宮の神』『ラスプーチン』『SFと神秘主義』(三冊目のみサンリオ文庫)。コリン・ウィルソンは、生命主義とでもいうべき生命力のほとばしりが感じられる点が好きです。(自身は新実存主義と言っています。)『SFと神秘主義』の表紙は、またしても藤野一友。大瀧啓裕の仕業です。
また、『ザ・ベスト・オブ・H・G・ウエルズ』は、ウエルズ小論を含めると、531ページにも及ぶ厚さ。SFの古典の世界を堪能できます。
ウラジミール・ナポコフの『ベンドシニスター』は、独裁政治のもとで、運命を翻弄される知識人を描いた作品。言語実験と政治的寓話、そして愛の物語という三つの要素が結びついた傑作。『ナボコフの一ダース』では、短編も味わえます。
ラテンアメリカ文学からは、ガルシア=マルケスの『エレンディラ』とアレッホ・カルペンティエールの『この世の王国』。カルベンティエールは、ブルトンアラゴンピカソらのシュルレアリスト・グループとも交流のあった人物で、そういった観点からも興味深い人です。