法解釈その2

また、日本国憲法第89条は、(公の財産の支出・利用提供の制限)を規定しており、「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」としている。
したがって、靖国神社にささげる玉ぐし料の公費支出は、憲法第89条に抵触することになる。
ここで参考となる判例は、1997年 4月「愛媛玉ぐし料訴訟」である。ここで最高裁は、愛媛県知事靖国神社への県費支出を違憲との司法判断を下している。
なお、1977年 7月の津地鎮祭訴訟最高裁判決では、目的効果基準が導入され、地鎮祭を「宗教的儀式でなく一般的慣習」とし、違憲ではないとしている。
しかし、「一般的慣習」という言葉には、腑に落ちないところがある。国家神道の成立過程を調べると、明治15年(1882年)、内務省達乙第4号、丁第1号につきあたる。これは、神官の教導職の兼補を廃するとともに、葬儀に関与せず、神社神道を祭祀に専念するよう通達するものであった。これにより、当時の政府は、神道を葬儀に関わらないといった性格から、建前上、宗教でないとし、そうであるがゆえに神道は宗教の上位にある習俗であるとして、事実上の国教に格上げして、国家神道への布石を敷いたのである。神道が「宗教」であることを否定し、「一般的慣習」もしくは「習俗」とするのは、表向き「宗教」レベルに達しないとしつつ、実際上は「宗教」より上位のあたり前のこととして許容させるロジックである。
大日本帝国憲法明治憲法)の28条は、信教の自由を認めているが、その直後に「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」という但し書きがみられる。つまり、「一般的慣習」もしくは「習俗」を破るものは、安寧秩序を脅かし、臣民としての義務に背くことになるというわけである。
それゆえ、津地鎮祭訴訟最高裁判決は、信教の自由と政教分離原則の理念からすると、大日本帝国憲法明治憲法)の時代にやや先祖がえりした判決であると思われる。
なお、津地鎮祭訴訟最高裁判決を元に、靖国神社への日本国首相の公式参拝をも正当化しようとするロジックがあるが、地鎮祭靖国神社を同列に扱うことは、靖国神社の歴史的成立過程とその政治的位置づけからして、どうみても無理があると考えられる。ストレートにいえば、地鎮祭程度では死者は出ないが、靖国神社はまともに機能すると屍の山ができるということである。この靖国神社の歴史的成立過程とその政治的位置づけについては、後述する。
政教分離の原則は、政治権力がある特定の宗教と結びつき、これを優遇することによって、他の宗教に不利益をもたらすことを防止する意味合いがある。例えば、国家神道の場合、非国家神道系の神道、仏教、キリスト教等に対する公的圧力として機能する。また、無神論に対しても、強制的な信仰をさせる点で、悪しき権力として機能するのである。
さらに、政治が宗教と結びつくことにより、国民をマインド・コントロールすることを防止するという意味合いもある。