国家のイデオロギー装置論

では、靖国神社とは、国家にとっていかなる機能を果たしていたのだろうか。
ここで、靖国神社が、戦前・戦中の日本においていかなる政治的機能をはたしたのかを見えるようにするために、アルチュセールの国家のイデオロギー装置(AIE)論という観点を導入してみよう。アルチュセールは、国家を国家権力と国家装置というふたつの層に分け、国家装置を物理的=暴力的な抑圧装置と、国家のイデオロギー装置に分ける。
国家のイデオロギー装置としては、宗教的装置・教育的装置・家族的装置・法律的装置・政治的装置・情報的装置……などが挙げられる。
この国家のイデオロギー装置は、一見バラバラであるが、それぞれが機能することによって、総体として生産諸関係−社会諸関係の再生産ブロセスの維持の方向に人々を抑圧的に向かわせる性格を持っている。ここでいう再生産とは、次の世代の生産諸関係−社会諸関係をつくることである。
戦前・戦中において、物理的=暴力的な抑圧装置とは特高警察であり、軍隊であった。一方、靖国神社教育機関などは、国家のイデオロギー装置として、前者を補完する関係にあった。国家のイデオロギー装置は、個人の内面に自己を監視する視線を植えつける。この視線は、権力の視線であり、国家権力の意思を代行する役割を果たす。物理的=暴力的な抑圧装置を補完するように、国家のイデオロギー装置があるのは、権力のエコノミーの観点から、各個人の内面に国家権力の代理店を設ける方が都合がいいからである。
私の観点からすると、靖国神社は、戦前・戦中において帝国主義的・軍国主義的な生産諸関係−社会諸関係を再生産するための国家のイデオロギー装置である。そして、戦後、昭和20年(1945年)12月15日の連合国最高司令官総司令部(GHQ)より出された「「国家神道神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」によって、政教分離が行われ、靖国神社は一宗教法人となり、国家と切り離されたが、この靖国神社という富国強兵のためのパーツは、日本国憲法(特に第9条)の改憲と、有事法制の整備とのセットになることによって、再度、新帝国主義新植民地主義の精神的支柱として復活すべく、今なお不気味な胎動を繰り返しているのである。