A級戦犯合祀をめぐって

中国は、A級戦犯の合祀を問題視して、靖国神社への首相の公式参拝を批判している。これに対し、保守派の論客は、A級戦犯とB・C級戦犯の差異は、恣意的なもので、合理的な区分はなく、東京裁判で勝手につけた区別に過ぎないという。保守派は、東京裁判とは戦勝国が敗戦国に対して、日本の戦争犯罪を裁く法律(条約)がないにも関わらず、勝手な判決を下したのであり、不公正な裁判であったと主張する。東京裁判は、罪刑法定主義の則ったものではないというのである。保守派によると、日本の東条英機らのA級戦犯は、ヒットラームッソリーニのような独裁者ではなく、たまたま戦争当時の責任者であったに過ぎないとし、A級戦犯とB・C級戦犯の間に格段の差はないのだという。彼らが、このようなロジックを展開するのは、A級戦犯に免罪符を与え、最後に日本は欧米諸国によるアジアの植民地化から防衛するために戦ったのだと(大東亜共栄圏)して、日本を正当化するためである。
責任の所在を曖昧化させようとする保守派に対しては、A級戦犯も、B・C級戦犯も断罪されねばならず、さらには彼らを戦争犯罪人=殺人マシーンにすべく追い込んだ国家や、その国家の中で戦力を旋回させ、死をも恐れない多数の殺人マシーンを製造した靖国神社を、それ以上に糾弾せねばならないのである。そうした根底的な反省なしに、真の国際協調はありえないし、信頼に足りる国家形成もできない。
第二に、自然法イデオロギーとして排し、実定法のみを重視する法実証主義は、カール・シュミットのようにナチズムに絡め取られたように、実定法の欠陥を肯定する危険性が高くなるということである。戦争犯罪を裁く実定法の不備があったとはいえ、人には許されないことがあることは、いつの世にも自明の理である。