結語

私には、靖国神社というものが、日本国憲法の持つ民主主義の理念となじまないものであると思えてならないのである。靖国神社戦没者追悼の場ではなく、戦死者を美化し、戦争を鼓舞し、ファシズムの死の美学を完成させることを目的としていると思われるのである。靖国神社は、富国強兵を目指す明治政府によって作られ、日本のファシストたちによって維持されてきた国家のイデオロギー装置であり、現憲法の施行後、一宗教法人という扱いになっているとはいえ、ファシストたちによる改憲の策謀が成功した暁には、再び人間の精神活動を圧殺する国の機関として機能し始めるのである。
靖国神社に参拝する人々の多くは、戦没者の死を悼み、平和を祈念していることを、私は十分承知している。だが、真に戦没者の死を悼み、平和を祈念するのならば、靖国神社という戦争遂行のための国の装置と、むしろ対決する必要があるのではないか、と考える。少なくとも靖国神社という装置をつかって、政治家たちが何を目論んでいるか、改憲論と有事法制の動きと絡めて知っておく必要がある。
靖国神社は、戦没者の霊を独占しているだけでなく、日本人が自分で考えるということも奪っているのである。