死者の人権について考えるのって、ヘンですか?

先日、靖国神社問題について書いてみたのだが、どうもこの問題に関しては、冷静ではいられないところがある。それは、「死者の人権」ということだ。私には、物心ついたときから、靖国神社というものが、「死者の人権」を冒涜しているように思われたのだ。
だから、先日の発言の核にあるものは、誰かの影響で、ということではない。
また、私は政治的な党派に加わってもいないので、そういう立場からの発言でもない。
昔、高校受験のときに、日の丸のはちまきを祖母に貰ったことがある。私は祖母が大好きだったけど、受験を戦争のメタファーで塗りつぶすのは、あんまりだと思った。それで、そのはちまきは一度もしなかった。
もしも、死者に意識があり、現在の世界を見ているとしたら、戦後相当な年月が経過しているにもかかわらず、一方的に「靖国神社」という宗教を押し付けられ(他の宗教に首を突っ込んでみたい死者もいるだろう。そうおもうのだが。)、戦争でたくさんの人を殺したことで立派だと、いまだに褒め称えられるだなんて、私だったら絶対、嫌だ。褒め称えの基準が、いまだに戦前・戦中の基準なんだぞ。そんな恥っさらしなことがあるか。
確かに「靖国神社」にいれば、人々が拝みに来るさ。でも、人々が拝むとき、「英霊」として拝むんだぞ。虐殺のための機械に仕立てられ、あげくの果てに殺されて、しかも優秀な殺人マシーンでした、ありがとう、なんて、あまりにも酷くないか。
これほどの「死者の人権」の蹂躙はないと思うのだが。
生きているときは、人権がないといわれ、死んでからも、人権がない。
これほど辛い想いをして生きて、そして散っていったというのに、まだ生き残ったやつらは学習していないなんて。なんてことだ。一体、何人死んだら、戦前・戦中の価値観がいかに人間を愚弄したものだったのか悟るというのか。今畜生!
いろんな主義主張があって、カラフルな衣装で着飾って、みんな愉しんでるのに、いつまでも、お前は「昔人間」だから、靖国神社でいいよな、なんて、なんか死者を馬鹿にしてないか。死者だって、いろいろ考えるし、いろいろ選びたいという気持ちがあるのにさ。
いい加減にしろ。

…と死者になりかわって、怒ってみましたが、やっぱりイカレてるよな。私って。