逸脱のすすめ

[以下の原稿を、アレクセイの花園 http://8010.teacup.com/aleksey/bbs に、6月25日(土)投稿しました。]
◆『逃走論』とは、浅田版<書を捨てよ町へ出よう>であり、<家出のすすめ>であった。「住む文明」から「逃げる文明」へという浅田のアジテーションが、<家出のすすめ>でなくてなんであろう。『逃走論』は、逸脱のすすめ、である。決まりきった生き方、誰かに決められた人生、そしてなにものかに縛られる人生からの逸脱のすすめ。寺山と違うところは、寺山は<青森のせむし男>としての土着的な肉体性があったが、浅田にはそういったものがない、ということである。
◆『構造と力』 の「序にかえて」と、『逃走論』の「ツマミ食い読書術」は、象牙の塔と化したアカデミズムへの浅田の反発から来ている。これは、<関連領域をすべておさえてないと、まともな言説としてとりあげないぞ>という学会の権威から自由になろうとしての発言であって、きちんとテクストを読み込んだものを抑圧するものではない。
◆『構造と力』 の「序にかえて」が、抑圧的なアカデミズムの例として、マルクス主義訓詁学を挙げているのは印象的である。浅田は、「アルチュセールイデオロギー論の再検討」を書いている人物であるが、マルクス主義訓詁学の持つ権威性には、うんざりしていたことが伺える。こういったアカデミズムの抑圧性は、浅田にはマルクス的ではないと思われたのだ。
◆浅田は、教養主義を否定していない。「ツマミ食い読書術」の直後に「知の最前線への旅」があり、多くのテクストが提示される。つまり、浅田がスキゾ的パフォーマンスが出来るのは、パラノ的努力をしているからだ。ただ、人前で汗をかいているところを、彼は見せたくないだけである。
◆浅田は、自分の本が売れた後、意識的にブームから遠ざかろうとした節がある。具体的には、左傾化を鮮明にするということで、その方向性が見える。『マルクスの現在』(とっても便利出版部)を参照されたし。
◆知の権威性に対する抵抗として、『構造と力』や『逃走論』が書かれたという一面(あくまで一面であるが)があるが、こうした知の脱構築を待たずして、学生が学習しなくなることで、学問の権威が失墜した。だが、浅田が抵抗したのは、知の権威性であって、知ではなかった。繰り返すが、浅田は教養主義者である。浅田が柄谷らと組んで刊行した最近の書物に、『必読書150』(太田出版)がある。<これを読まなければ、サルである>という柄谷の挑発的な言葉が踊るこの書物は、学生に勉強せよ、と迫る。こんな彼らがきちんとテクストを読み込むものを愚弄するというのは、論理矛盾と思われる。勿論、教養は逸脱の際に、ことばという武器となってくれることはいうまでもない。