西欧哲学史の概略

[以下は、ミクシィに書いていた西欧哲学史の概略です。但し、なにぶんアマチュアの独学につき、ミスリーディングがあるかも知れません。なにかに利用される際は、再度原典にあたられることをお勧めします。]

◆ルネ・デカルト 『方法序説
(1)なにが信用できるのか。なにが正しいといえるのか。まず、最初にすべてを疑ってかかろう。そして、疑いようのない真理から、再度考え直してみよう。(方法的懐疑)
(2)いくら疑ったとしても、ここに疑う私がいることは打ち消しようがない。我思う、ゆえに我あり(COGITO ERGO SUM)。こうして、デカルトはコギト(自我)を発見し、第一原理とする。
(3)第一原理から、いろんなことを導きだせないだろうか。(演繹法)たとえば、神の存在証明などを導き出せないか。
(4)この私=コギトは、全知全能ではない。ところで、全知全能といえるためには、全知全能とはなにかを知っていないといけない。全知全能なのは、神である。ゆえに、神は存在する。[すこぶるいい加減な推理だと思います。]
(5)神が存在することから、すべてが理性的に出来ていると推察される。だから、神によって与えられた理性を使ってかんがえてゆけば、物事が合理的にわかるはずです。(大陸合理論)

[豆知識]
倉橋由美子の「解体」(『夢のなかの街』)に、COGITO ERGO SUMが出てきます。ちなみに、この本の新潮文庫の解説は、中井英夫でした。

◆イギリス経験論について
(1)フランシス・ベーコン『新オルガヌム
イギリス経験論を創始。多くの個別的事実から、一般法則を導く帰納法の基礎をつくる。
(2)ジョン・ロック『人間悟性論』
イギリス経験論を継承・発展させ、人間は最初、白紙(タブラ・ラサ)状態で生まれるが、経験の積み重ねで色がつくのだとした。
(3)ジョージ・バークリ『人知原理論』
存在することは知覚されることであると主張。物質の実在を否定したため、独我論と批判された。
(4)デイヴィッド・ヒューム
経験論を極端に推し進め、人間主体も経験を再構成したものと考え、あらゆる知の成立根拠がないとし、懐疑論を唱えた。
この懐疑論という暗礁をいかに乗り越えるかという観点から、イヌマエル・カントの批判哲学が登場する。カントの作戦は、大陸合理論とイギリス経験論を綜合することにあった。

[豆知識]
ジル・ドゥルーズには、『ヒューム』『ヒュームあるいは人間的自然(経験論と主体性)』という初期の著作があり、ドゥルーズもまた、ヒュームの懐疑論をどう捉えるかを、哲学の出発点にしている。

◆イヌマエル・カントについて
イギリス経験論がヒュームの懐疑論というかたちで暗礁に乗り上げてしまったことから、カントは次のような方法でこの難問を解こうとする。
(1)大陸合理論の流れを受け、認識の主体にコギトを置く。
(2)イギリス経験論では、外界から情報が来るが、カントにおいては、このコギトの方から外界のデータを獲得せんとする。(認識のコペルニクス的転回)
(3)ただし、人間主体が外界からデータを得る際に、先天的悟性形式というスリットを通過する。だから、人間が認識し得るものは、外界の「物自体」ではない。
(4)例えば、宇宙の果てはあるかとか、死後における魂の存続であるとか、神が存在するかどうかということは、人間の認識能力を超えている。
(5)このように『純粋理性批判』(認識論)で、カントは神の存在について不可知論を取るが、『実践理性批判』(倫理学・道徳学)では、神は実践理性の要請により、再度甦る。ただし、この神は存在(ある)ではなく、当為(あるべし)である。
(6)カントは、認識論においては批判主義、倫理学においては人格主義をとる。人格主義の要点は「あなた自身の人格ならびにすべての人の人格において、人間性の品位を尊敬しなさい。そして、その人格を常に目的として用い、決して手段として用いてはならない」ということにある。
(7)カントの三批判書の構成
純粋理性批判』…哲学……知の価値としての<真>
実践理性批判』…倫理学…意の価値としての<善>
判断力批判』……美学……情の価値としての<美>
真・美・善の統合により、聖という価値が生ずる。

[豆知識]
カントは宇宙の果てはあるかとか、死後における魂の存続であるとか、神が存在するかどうかといった問題を、人間の認識能力を超えているとして自身の学から追放したが、埴谷雄高は、文学ならこれらの問題を扱えるのではないかと考えた。埴谷雄高が、カントの批判哲学を超えるために用いたのは<妄想>であった。『死霊』は、埴谷の<妄想>の産物なのである。

シェリング VS フィヒテ
カントは「物自体」を措定し、人間の認識能力に限界を設けたが、カント以降、この「物自体」という限界を好まない哲学者が、2つの解決策を持ち出した。
ひとつが、フィヒテの主観的観念論であり、外界はすべて人間主体が創造したものとする立場である。当然、このように言い切ってしまえば、「物自体」は理論上消える。
もうひとつがシェリングの客観的観念論であり、自然の側に一切を解消するものである。
このドイツ観念論のふたつの流れは、ヘーゲルの絶対的観念論の成立によって再度統合される。

[豆知識]
ゲーテの『ファウスト』には、フィヒテの主観的観念論をからかうセリフが含まれています。

シェリング哲学の問題点は、神を同一性を本質とする客観的・抽象的なものにしてしまったことであった。その結果、シェリングは哲学的に考えられた神と、実在する神の二元論に陥り、かつ精神的なものと実在するものの優位関係がなくなってしまった。

◆ゲオルグ・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルについて
(1)ヘーゲル哲学の特徴は、それまでのドイツ観念論が永遠の相において語ることを旨としてきたのに対し、時間的な経過のなかで人間の精神が能力的にヴァージョン・アップしてゆくヴィジョンを打ち出したことにあると思う。
(2)ヘーゲルは、正(テーゼ)、反(アンチ・テーゼ)・合(ジン・テーゼ)から成る精神の弁証法を打ち出した。正反の矛盾を、高い次元で止揚アウフヘーベン)してゆくことを、何度も行うことにより、やがて絶対精神に到達することができるというものである。ヘーゲルは、哲学によって、人間が神の高みに上がることができると考えたのである。
カントは、認識を巡って人間の能力に限界線を引いたが、ヘーゲルにおいては、このような限界は存在しない。「主観−客観」の矛盾は、より上位のレベルで止揚され、さらにこれにアンチ・テーゼがぶつけられ、さらに認識が高まってゆく。
(3)ヘーゲルは「現実的なものはすべて合理的であり、合理的なものはすべて現実的である」という。世界という現象は、ヘーゲルにとって精神の本質が顕現したものに過ぎず、その顕現は絶対弁証法という合理的なロジックに沿って行われる。
したがって、ヘーゲル弁証法のロジックをおさえることで、家族、市民社会を超えて、最終的に国家意思を掌握することができる。こうしてヘーゲルは、国家意思の代弁者として、権力の擁護者として、その哲学を機能させるようになってゆく。

ヘーゲル哲学への批判者
ヘーゲル哲学は、当初人間の完全なる自由の具現化を目指したが、弁証法による体系の完成とともに、権威主義的・国家主義的になり、無限の専制を擁護するようになる。
この哲学は、ドイツ観念論の完璧な完成形であったが、後に様々な立場からの批判を浴びることとなる。
(1)ヘーゲルの観念弁証法に対し、マルクスは唯物弁証法を唱えた。
(2)ヘーゲルの<あれも、これも>という量的弁証法に対し、キルケゴールは<あれか、これか>という質的弁証法を打ち出した。
さらに、ヘーゲルは近代合理主義哲学のチャンピオンであったが、この近代合理主義が見落とした視点からの批判もあった。
(1)マルクスは、経済学批判の立場から、プロレタリアート(労働者階級)の存在に注目した。
(2)フロイトは、精神分析学の立場から、リビドーの存在に注目した。
(3)ニーチェは、反哲学の立場から、ヘーゲル哲学を含むキリスト教思想を排撃した。