ニーチェとファシストたち

ジョルジュ・バタイユ他『無頭人(アセファル)』(現代思潮社)には、バタイユらが刊行した雑誌「季刊アセファル 宗教・社会学・哲学」が収録されている。第2号は、「ニーチェファシストたち:名誉回復」である。
ここで、バタイユは、反ユダヤ的な人種差別主義者に対してニーチェが発した言葉を引用している。
「種族についてこの厚かましい冗談に関わっている人間とは、けっしてつきあわぬこと。」
さらに、反ユダヤ主義者テオドリッヒ・フリッチュ宛のニーチェの書簡には、次のような言葉があると指摘する。
反ユダヤ主義者たちの口からツァラトゥストラの名前が出るときに、わたしがどんなことを感じるとあなたは思いますか!」

それにしても、ニーチェのとりまきには、反ユダヤ主義者、ファシストのなんと多いことか!
ニーチェ実妹E・フェルスター・ニーチェは、反ユダヤ主義者である。
彼女は自分宛のニーチェの書簡を『ニーチェ・三巻著作集』第三巻の解説で発表したが、これは偽作であった。
『権力への意志』は、断片群であり、本の体裁を成していない遺稿であった。これを、体系的なものに仕立て上げ、本にしたのは、E・フェルスター・ニーチェとペーター・ガストであった。
このとき、フェルスター・ニーチェは、加筆・削除・編集を行っている。
こうして、ニーチェ反ユダヤ主義者たちへの毒舌は、削除され、不協和音のない権力崇拝の書が出来上がった。
ヒットラーや、特にムッソリーニの愛したニーチェ像は、こうして出来上がったのである。ムッソリーニは『イタリア百科事典』のファシズムの項目を自身で書いているが、そこには「力への意志」という言葉が、2回使われているのである。
(なお、フェルスター・ニーチェ版が、恣意的な改竄がなされていることを知りつつ、非体系的なアフォリズムよりは、整然とした体系の方が判りやすいとして、従来の改竄版が今尚、出版されている。これは、ファシズムの精神的温床のひとつであると思う。)

ニーチェの研究書は、ハイデッガーの『ニーチェ』も含めて、ファシズム的傾向が鮮明なものが多い。
(日本の翻訳者・紹介者もまたファシズム的傾向、タカ派傾向を持つものが多い。例えば、新しい歴史教科書をつくる会の精神的指導者は、日本の高名なニーチェ研究家である。巷で流通しているニーチェを見ると、ニーチェが都合のいいように利用されている印象を受ける。ニーチェの『アンチ・クリスト』や、進歩思想への批判は、強者による弱者の排撃を肯定しているのだとして、ファシストたちにもてはやされている。また、生命主義的な戦争肯定思想として、それをもとに戦後民主主義や平和主義を軟弱とする論者もいる。これらの論者とニーチェの最大の違いは、ニーチェはこのようなエゴの肥大の方には向いていなかったことにある。)
一方、ヤスパースの『ニーチェの生活』『ニーチェの根本思想』は、リベラルであり、ここには彼の誠実さが感じられる。
ニーチェ研究が、ファシズム的傾向を脱したのは、バタイユクロソウスキーらがやっていた「アセファル」の影響が大きい。
ジョルジュ・バタイユの『無神学大全 ニーチェについて』、ピエール・クロソウスキーの『ニーチェと悪循環』、ジル・ドゥルーズの『ニーチェと哲学』、ジャツク・デリダの『尖筆とエクリチュール』、これらはファシズム的傾向を離脱した新しいニーチェ像を提示している。