限りなくファシズムに近いグレー

今回の衆議院選挙の結果に関する感想は、立場によって異なるのだろうが、私にとって戦争加担勢力が議席を2/3以上確保したことを意味する。
戦争加担勢力の定義は、日本国憲法、特に第9条の改憲を狙う勢力ということである。(その意味で、与党=自民党公明党だけでなく、野党第一党民主党も戦争加担勢力である。民主党の中には、右派と左派があるため、第9条に踏み込むかどうかに迷いがあるようだが、改憲の方向で動いていることは間違いない。)
衆議院で2/3以上になったことで、おそらく改憲の日程を繰り上げてくることは必至である。このチャンスを逃すはずかせないではないか。
彼らの目標は、次のような方向性を持っている。
・日本の自衛隊を、法的に「軍」と規定する。
・国連の平和維持活動の名目での自衛「軍」の海外派兵の正当性を、憲法レベルで保証する。
・自衛のための戦争を、憲法レベルで肯定する。
・(可能ならば)集団的自衛権も、認める。
・自衛「軍」の活動の障害となるような国民の権利は、公共性の観点から制限されることもあることを明記する。
彼らの論点は、自衛のための戦争は正当化されるし、それは国家としての当然の権利を行使しているに過ぎないとするものである。
しかし、あらゆる戦争は、自国軍の行為を「正義」として肯定してきたのであり、決して「悪」として戦ってきたのではない。自国軍を「正義」に仕立てるためならば、自国軍の行為を「自衛」のためであると強引に言い張ることはざらである。
他国に対する加害行為を、あたかも被害者の「自衛」であると言い張るにはどうすればいいか。そんなことは簡単である。自国の概念を拡張すればいい。例えば、アジア全体の防衛であるとか、自由主義諸国の防衛であるとか、良識ある文明国の簿英であるとか。
口当たりのいいキャッチフレーズを信用してはならない。絶えず、その言葉が真実を語っているか、誰かの犠牲の上に成り立っているのではないかということを問いかけるべきである。
戦争加担勢力は、概して過去の加害行為に関して鈍感であり、忘却したふりをする。一方、被害を受けた側は、決して忘れないものである。
新しい時代が開けるとしたら、真摯な態度で過去と向き合うこと。歴史修正主義の罠に陥らないように自戒することである。
現在、日本は重大な歴史の分岐点に経っている。この日本の覆うものは、限りなくファシズムに近い黒い霧である。
旧来のファシズムは、軍事力と警察力の掌握によって、ヘゲモニーを確保し、国民の権利を蹂躙し、他国への侵略と略奪を行ったが、この日本に進行しているものは、ポピュリズムを利用して、一気に自国の利益のために殺人を行使できる一人前の国家(そんな国家などいらないのだが。)に駆け上がろうとする新しい動きなのである。これはポスト情報化社会に対応した新しいファシズムなのかも知れない。
私たちは、収容所群島ポル・ポトの大虐殺に論理必然的に帰結してゆくマルクス主義に絶望し、ソ連邦の解体と東欧の自由化に歓喜し、思想としてのマルクス主義を葬る方向で動いてきたが、新しいファシズムによって、排外的に無限に閉ざされ行く社会を前に、それに抵抗するための有効なロジックを提出できないでいる。
戦争加担勢力を殲滅させるだけの圧倒的なロジックの構築、これが現在に課せられた急務である。