ケイト・ブッシュ『エアリアル』

ケイト・ブッシュの12年ぶりの新作は『エアリアル』。初の2枚組である。

エアリアル

エアリアル


前作の『レッド・シューズ』の後、彼女は息子バーティを出産し、育児に専念していたのである。
レッド・シューズ(紙ジャケット仕様)

レッド・シューズ(紙ジャケット仕様)

エアリアル』のDISK1は「A Sea of Honey」、DISK2は「A Sky of Honey」と名付けられている。
Honeyという言葉から、私は「蜜の流れる博士(Doctor mellifluus)」こと聖ベルナルドを想起する。
私の考えでは、DISK1は小宇宙(ミクロコスモス)に、DISK2は大宇宙(マクロコスモス)に対応している。ちょうどゲーテの『ファウスト』第1部が小世間に、第2部が大世間に対応しているのと同じだ。
聖ベルナルドだの、小宇宙と大宇宙だのと、なんと事大主義的な、と思われるかも知れないが、ケイト・ブッシュの音楽に、単なるポップ・ミュージックに収まりつかない過剰なものがあることは間違いない。例えば彼女の『ドリーミング』を聴けば、この作品が音楽を通じて思考のリミットを表現したものであることが、直ちに了解できるであろう。バタイユアルトーが、文学や思想を通じて、思考のリミットを記録し、リミットを超え狂気に接近したように、彼女も思考の深淵をみせつけるアーティストなのである。
ドリーミング(紙ジャケット仕様)

ドリーミング(紙ジャケット仕様)

DISK1(A Sea of Honey)は、一見日常風景を描いているように見えるが、日常風景のなかにある超越への扉の所在を示している。「キング・オブ・ザ・マウンテン」は、題名どおり子供の遊びを歌っているが、この山は超越性を示しており、「類推の山」であろうと推測される。ちなみに『類推の山』を書いた異端のシュルレアリストルネ・ドーマルも、ケイトと同様、グルジェフの影響を受けている。「π~円周率」は、「フォア・フォーズの素数」(竹本健治著)にも通じるような数学を通じて純粋思考の極限に接近する情熱を持った男を描いている。「バーティ」は、息子への愛と慈しみを歌っている。いまや、人生の意味はこの息子なしに考えられないというのだ。「バルトロッツィ夫人」は、洗濯機の歌である。ざぶんざぶんと汚れたシャツが、洗濯機の中で廻るごとに、キレイに浄化されてゆく。洗濯機の回転は、魂のスパイラル・ダンスであり、精神の浄化とリンクしている。「透明人間になる方法」では、身体をなくすこと(透明人間になること)が書かれた禁忌の書物が登場する。透明人間というのは、超越性のメタファーであり、実存的な眼も眩むような跳躍が必要だというのだ。「ジョアンニ」は、イタリアの武将ジョヴァンニ・デ・メデッチの歌っている。ジョアンニのつけた金の十字架が、聖性と崇高さをひとつに結びつける。「コーラル・ルーム」は、今は廃墟となった猟師の街で、母子の姿を幻視するという歌である。
こうして、DISK2(A Sea of Honey)に突入する。「プレリュード」は導入の歌であり、息子バーティが、鳥の囀る大自然の世界に導く。「プロローグ」は、ローマの温かな太陽の世界が描かれる。ここで描かれる世界は、幸福感に満ちており、汎神論的である。「建築家の夢」は、なんども塗りなおしをしてゆく画家の姿が描かれる。その画家は、建築家のようだと言う。建築家はまずイデーがあり、それからイデーを具現化してゆく。画家もまた、自身のイデーに沿って、創造を改める。「ペインターズ・リンク」において、その画家が描いた絵が「サンセット」に変容してゆき、「サンセット」で「蜂蜜の海」と「蜂蜜の空」が描かれる。音楽と一体化したこれらの言葉は、生命の充溢した幸福感に満ちたプラトー(高原)状態であり、持続する至高体験でもある。「エアリアル・タル」はインストゥルメンタルであり、「サムウェア・イン・ビトウィーン」の世界に自然に流れ込む。「サムウェア・イン・ビトウィーン」では、寄せたり引いたりする波のリズムや、眠りや目覚めのリズムが描かれ、この中で呼吸し、自由に遊びまわる生命が歌われる。波や太陽による周期的なリズムは、円環的時間概念を示している。宗教儀礼などで見られる象徴レベルでの死は、新生のためのものである。時間を円環的に捉えることで、宇宙のリズムと一体化し、我々は幾度と甦ることができる。「ノクターン」は、夏の夜の海の風景を描いているが、歌詞のなかに実際の世界かも知れないし、夢のなかかも知れないとあるように、もはやどこにもない場所にある海である。その夜の海に深く、さらに深く潜ってゆく。最後の歌「エアリアル」は、夜明けの歌である。この夜明けは、自然界の夜明けであると同時に、宇宙と一体化した生命の新たな新生をも意味している。
このように『エアリアル』は、宇宙のリズムと一体化した汎神論的恍惚の世界を描き出している。12年のプランクを経ても、人間の魂に鋭く迫るケイトのスタイルは変わらないが、その精神はより成熟を遂げた。これまでの作品には、グノーシス主義的な反宇宙的善悪二元論の傾向があったが、『エアリアル』は宇宙のリズムと一体化する方向に向かっている。このマクロコスモスとの一致の鍵は、息子バーティによってもたらされたものであると考えられる。
聖ベルナルドは、「高い峰は甘露をたらし、丘は歌と蜜をほとばらせ、川のほとりは五穀が実る」と書いている。このような幸福感に満ちた時間の持続が、この作品に存在する。