生命論に関するラフ・スケッチ

ライヒの晩年は、オルゴンボックスで集積したエネルギーを使って、空飛ぶ円盤を撃ち落そうとしたり、雲を消失させたり、逆に雨を降らせたりできると主張したりして、これ以上マッドサイエンティストという言葉が似合う人はいないと思っています。
ただ、ライヒは単にトンデモじゃなくて、実に深いところを突いていると思わせるところがあって、それがどこかというと、一つは性格の鎧という説、もう一つは癌と生命エネルギーの関連を説く説です。ライヒのなかには、生命エネルギーが体の中をぐるぐる循環しているのが健康な状態という考え方があって、精神的にストレスなどで緊張していたり、抑圧的な性格だと、筋肉が鎧のようにこわばると、生命エネルギーの循環がうまくいかなくなり、肩こりになったり、体のなかに老廃物が溜まったり、細胞の癌化が起きたりするという基本的な考え方があるように思えます。
尤も、その生命エネルギー(ライヒはオルゴンエネルギーと言ったわけですが、哲学的にエラン・ヴィタルと言ってもいいと思います。)を、ライヒが主張するように客観的に(顕微鏡などで)捕捉できるかどうかになると、はなはだ疑問ですが。
また、政治的・経済的領域と、人間の無意識の領域を接合させようとした点で、非常に荒削りではあるものの、先駆的な意味があるように思います。荒削りというのは、ライヒに影響を与えた人間を経済人にすぎないと看做すマルクスの考えと、人間を性的な反射衝動の機械に過ぎないと看做すフロイトの考え自体に問題があって、これらの考え方は一面では真理を突いていても、それは断片的な人間像に過ぎず、人間を偏狭かつ卑小化して捉えているように思います。
私見ですが、ライヒが問題にした生命エネルギーに、超越的次元というものを設定し、人間性の全面的な解放を目指すことによって、ルネサンス期に見られたような(ゲーテミケランジェロのような)マルチで創造的な人間を生み出せるのではないか、と考えます。非常に大風呂敷を広げてしまって恥ずかしい限りですが。