宮村優子 『魂』、『鶯嬢』、『大四喜』
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- アーティスト: 宮村優子,横山武,みやむらゆうこ,三柴理,大槻ケンヂ,破矢ジンタ,平沢進,戸川純,弥勒,大木トモユキ,長谷川ヒロシ
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『鶯嬢』は、ビゼーの曲に「みやむらゆうこ」が歌詞をつけた「女のGO!」から始まっており、白い錠剤を飲もうとする女の業のことが歌われる。こうして尋常でない禁断の愛の世界に、聴くものを誘うのである。2曲目は、大槻ケンヂ作詞の「〜ed(受動態)」であり、ここでは「恥の女」になること、つまり徹底的な受動態となる試みが語られる。これは主体化を目指すボーヴォワールとはまったく別のベクトルを持った試みであり、『O嬢の物語』すら連想させるのである。決定的なのは、3曲目の戸川純作詞の「女性的な、あまりに女性的な」である。これは音楽による犯罪心理学の試みである。殺人者となった女性の心理を、徹底的に描写することに成功している。その水準は、ドストエフスキーの『罪と罰』や、コリン・ウィルソンの殺人研究に匹敵するだろう。
『大四喜』もまた、尋常ではない曲が含まれている。死の終末論を前に歓喜を覚える「みやむらゆうこ」作詞の「ノストラちゃんまつり」から始まり、戸川純作詞の「秘密結社〜金曜日の黒ミサ」で、向こう側への超越が語られ、途中「12歳の旗」や「途中でねるな」など性を連想させる曲が挿入され、三柴理作詞の「山道と観世音」に到達し(私は観世音菩薩のことを歌ったJ−POPを知らない。このことだけでも、みやむーのやったことの過激さが判るだろう。)、最終的に「僕の体温は37.5℃」で、”暗黒のまつり”となるのである。
この時期の宮村優子の曲は、バタイユとおなじことを伝えようとしているのである。つまり、死を前にしての歓喜の実践としての音楽が、ここにあるのである。私は音楽と比較して、文学や哲学が上位であるとは考えない。私にとって、これらは等価である。ただ、出来のいいものと、悪いものがあるだけだ。そして、この時期の宮村優子の曲は、バタイユと比較しても遜色はないと確信している。それだけのことだ。