サルトルとゲルニカ

 昨日、放送された「美の巨人たち パブロ・ピカソゲルニカ』」では、『ゲルニカ』が発表された当時、コルビジェは不快感をあらわし、サルトルは「彼は方法論をまちがえたのだ」と、これまた無理解であったと言っていた。
 パブロ・ピカソの『ゲルニカ』は、スペイン内乱中のフランコ将軍を支援するために、ナチスがみせしめして行った空爆を契機に描かれた作品であり、歴史上初の対民間人への無差別大量虐殺に対する怒りを、モニュメントとして普遍化して表現したものだと、私は捉えている。
 では、なぜサルトルは、『ゲルニカ』に対して無理解だったのか。番組の伝え方では、当時の知識人が無理解だったのは、ゲルニカ空爆の後、大規模な大量死の時代に突入することを、ピカソのように見通すことができなかったためであるという。
 第二次世界大戦中、カミュは『闘争(コンバ)』誌で、対独地下運動の最先端の論陣を張っていた。一方、サルトルは、兵役についたが、ドイツに捕虜として捕まったが、その捕虜収容所のなかで、ドイツ兵にハイデッガーの『存在と時間』を持って来させたり(ハイデッガーナチス党員なので、このことでナチスに信用されたのではないかと思われる)、『蝿』の台本を書き、仲間うちで演劇をやって愉しんだ。そのあと、偽の身体障害証明書で釈放され、ボーヴォワールらと再会、どんちゃん騒ぎをしたという。
 サルトルの政治的センスは、ちょっとピントがずれている可能性はある。その後、ソ連の擁護者になってゆく過程を追っていくと、社会主義の理想に眼を眩まされて、収容所の問題を軽視しているように見える。
 だから、『ゲルニカ』の意味を理解しなかったという説明は、まんざら間違いではないと思う。しかし、サルトルが理解しなかった、というか理解したくなかったのは、まずキュビズムという方法論に対してであることを見落とすと、とんでもない間違いになる。仮に、サルトルゲルニカ空爆以降、世界は第二次世界大戦の大量死の時代に向かっていると理解していたとしても、やはりキュビズムの手法に不快感を表わしただろうと思う。これは政治的センスの問題だけでなく、実存主義という原理と、キュビズムの方法論が合わないということに由来している。
 サルトルが理解できるのは、セザンヌのような絵画までである。特に、最晩年のセザンヌが、「肉」、というか存在の質感の追求に向かったことは、サルトル実存主義の方向性と一致している。これに対して、あらゆる方向から見た世界を画面上に再構成しようとするキュビズムは、断片の集積であり、実存主義の方向性と一致しない。
 とはいえ、私自身はセザンヌも好きだが、ピカソはもっと好きだ。『ゲルニカ』を見ていると、全体主義への怒りがこみ上げてきて、こころが沸騰し始める。これに関しては、分からず屋のサルトルなど放っておけばいいと思う。