<愛>は存在しない

ジーグムント・フロイト精神分析学では、家族の根幹にはエディプス・コンプレックスが隠されているという。ギリシャ悲劇から取ったこの概念は、ドアーズの「ジ・エンド」のモチーフとなっている。

精神分析入門 (上巻) (新潮文庫)

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精神分析入門 下 (新潮文庫 フ 7-4)

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ハートに火をつけて

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「<愛>は存在しない」の歌詞(1)は、ドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス』にインスパイアされながら、この家族に横たわる問題を、外の社会と接合し、<パパ−ママ-ぼく>から成る家族の三角形のなかで、ぼくはエディプス化されるが、これは同時に資本主義的人間化でもあって、ママの愛情の獲得のために、パパと戦う、これが「追いつき、追い越せ」の資本主義的なパラノ・ドライブの予行練習ともなっているという認識を基に、設計されている。
アンチ・オイディプス(上)資本主義と分裂症 (河出文庫)

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アンチ・オイディプス(下)資本主義と分裂症 (河出文庫)

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 さらに、「<愛>は存在しない」の歌詞(2)は、ルネ・ジラール、彼は諸個人の欲望が、実は他者の模倣=ミメーシスであるとし、欲望の社会性を見抜き、個人の欲望と思えるものであっても、そこには第三者を交えた欲望の三角形があるとしており、これを踏まえたものとなっている。「<愛>は存在しない」の歌詞(3)は、キルケゴールの『反復』の主題を反復するものである。キルケゴールの、レギーネオルセンとの婚約破棄は、恋愛の不可能性の認識によるもので、一見、相手のためと思われる行為であっても、実は自分の欲望に沿うように願っているだけということを踏まえたものとなっている。
反復 (岩波文庫)

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 とどめは、「<愛>は存在しない」の歌詞(4)である。ここでは、コリン・ウィルソンのリアリティーを巡る思考を踏まえたものとなっている。コリン・ウィルソンは、人間は日常生活を平穏無事に贈るために、ある程度自らを自動人形化=ロボット化しているとし、ロボット化によって車の運転などがスムーズにできるが、その反面、現実感を喪失したり、生命の実感を失ったりすると考えた。これの突破口が、危険と触れ合うこと(聖ネオット・マージン)であり、ロシアの神秘思想家グルジェフのストップ・エクササイズであるとした。ここでは、ロボット化による疎外により、感情の潤いを無くした状態を描いている。
右脳の冒険―内宇宙への道 (Mind books)

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ベルゼバブの孫への話―人間の生に対する客観的かつ公平無私なる批判

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注目すべき人々との出会い

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生は「私が存在し」て初めて真実となる

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 こうして、(1)から(4)までを総合すると、人間のほとんどの<愛>は、欺瞞に満ちた虚妄背理であるという結論に至る。こうして、人類史の上で、実は<愛>は存在しなかったのではないか、という猜疑に陥る。
 ここまで来た段階で、「<愛>は存在しない」の歌詞は、旋回を始める。こうした猜疑を通じての挫折、自己の限界状況の確認が、愛の必要性の認識へと変貌を遂げる。
 <愛>は存在ではない、当為である。<愛>はあるのではない、あるべきであり、我々自身によって存在たらしめる必要のあるものである、と。
 こうして、この作品は、現代思想を踏まえつつも、さらにこの前提を内部から突き崩そうとする無謀な試みとなっている。 

「<愛>は存在しない」 (music. MILKHOUSE)

作詞:原田忠男
作曲:島田良彦
編曲:島田良彦

辿り着いた地点は
出口のない世界
ふたりだけの世界はアンチ・ユートピア
今では夢の外側だけを夢見てる

(1)家族愛なんてまやかしだと思う
母の愛を独り占めするために
父を憎み 父を超えるために 大人になった
父と母と私 逆三角形のなかで私は私になる
大人をコピーして 大人になる ただそれだけのこと

(2)淡い恋などまぼろしだと思う
一輪の華を独占するために
ライバルを憎み ライバルを超えるために 大人になった
華を愛でるライバルがいたから その華を奪おうとした
他人をコピーして 欲望を真似る ただそれだけのこと

辿り着いた荒れ地は
窓のない密室だった
閉ざされた世界は ディストピア
愛が憎しみに転化する地獄の世界

(3)優しさなんて偽善だと思う
理想の異性像を想い描いて
鋳型に押し込み 外れた部分を 憎み続けた
自分の理想を愛しただけで 現実には興味なかった
愛をトレースして 愛を真似た ただそれだけのこと

(4)自分なんて愛せないと思う
自分の妄想を造りだし
妄想に中毒して 現実の肌ざわり 忘れてしまった
閉ざされた世界を愛し 外の風を忘れていた
妄想の増殖に 翻弄された ただそれだけのこと

冷たい雨が打ちつける中
虚飾の愛が打ち砕かれる
痛みとともに 甦るのは
真実の愛への渇き

<愛>は存在しないと 唇を噛みしめるとき
甦る 奇蹟の調べ......