2014年08月12日のツイート
@harapion: RT @IAA_Tamabi: 【新刊速報】芸術人類学研究所特別研究員畑中章宏氏『先祖と日本人』(日本評論社)刊行!【戦後と災後のフォークロア】を求め広島、東北、日本人の魂の故郷へと向う著者の魂の足どり。畑中氏&研究所長・鶴岡真弓との☆記念トーク8/17は続報します http:…
@harapion: Les Rita Mitsouko - Marcia Baila (1984) URLレ・リタ・ミツコは、フランスのポップミュージックグループ。ゴダールの映画「右側に気をつけろ」に、『No Comprendo』の収録風景が出てくる。
@harapion: RT @henokkapa: NHKラジオ、白井聡さん。原発は国が全力で総力を挙げてやってきたこと。穏便な反対では反対できない、やるかやめるか二つに一つ、やめながら続けるとかありえないし、できればやめた方がいいんじゃない、では対抗できない。
@harapion: Negicco Live at ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2014: URL
@harapion: マテリアル(物質)を、イマジネールな自閉空間に裂け目を造りだし、現実界という<外部>を指し示すものとして捉えたい。傷つくこと、痛みを感じること、生きていると実感することの重要性。人は<外部>に触れて、はじめて自由になる。
@harapion: 廣松渉的な事的世界観、およびラカン的な関係論、象徴界/想像界/現実界の関係。ポストモダンを断罪するといっても、これらを放棄するのは、まずいのではないか。日本的文化圏に入る段階で、弱毒化・無毒化された思想を、再度、猛毒化することは必要であるにせよ。
@harapion: 長崎浩『リアルの行方』の書評者は、たぶん市田良彦の影響なのだろうが、理論偏重のアルチュセールと袂を分かれたランシエールに肯定的ととれるが、アルチュセールのイデオロギー装置論は、ラカンと深い関係があり、路線を変えたとはいえ、ラカン的な基盤を棄てることはできないのではないか。
@harapion: 山田宏明による長崎浩『リアルの行方』の書評(「情況」8・9月号)だと、長崎の技術論の延長線上に、廣松渉の物象化論の議論があるとされる。長崎の『革命の哲学』でも、疎外論に基づく主体的革命論が無制限のテロルに行きつく話があったから、その対極にある物象化論には肯定的なのかも知れない。
@harapion: 私の理解では、長崎浩も、笠井潔も、竹田青嗣も、現象学パラダイムで、ポストモダン批判。長崎の叛乱の位置に、笠井だと集合観念が、竹田だとロマン的憧憬だとかエロスだとかが入るかたち。竹田は笠井の文庫の解説を、確か2回行っている。
@harapion: 先ごろ刊行された『情況』2014年8・9月合併号に、長崎浩著『リアルの行方』の書評(評者 山田宏明)URLが載っているが、書評から判断すると、竹田青嗣がポストモダンの側に分類されているようにとれる。原典の『リアルの行方』を確認しなければ。