2014年12月12日のツイート
@harapion: 管理社会というのは、最初は上から「これをしちゃだめ」と禁止の命令が出るというところから始まり、次に相互監視で「お前、これをしただろう」になり、最後は自分で自分を監視するところで完成する。最後の段階になると、上は何もしなくてよくなるので、楽に管理ができる。
@harapion: フーコーの『言説の領界』(河出文庫)は、ディスクールの禁忌だとか、分割と廃棄だとか、真なる言説による偽なる言説の排除だとかを云っている。『監獄の誕生』に至る前の抑圧の仮説が前面に出ている。『監獄の誕生』になると抑圧ではなく、真理の産出だとか欲動の方向性のコード化が問題になる。
@harapion: 無論、W・ライヒとドゥルーズ=ガタリの理論はだいぶ違うが、問題意識は近いのじゃないかと思っている。両者の最大の違いは、前者はリビドーの抑圧ということを云う。ぐつぐつ煮えたぎる鍋に蓋をしたような格好。後者は、リビドーの流れを整流化することに権力の特質を見る。
@harapion: W・ライヒ、久野収訳『階級意識とは何か』(三一新書)でも『マルクス主義の旗のもとに』の事が出てくる。W・ライヒの本は、絶版が多いので、一冊入手するたびに、穴埋めするような格好になる。W・ライヒは、心理学と社会学を結びつけた人だが、ドゥルーズ=ガタリの先駆のように思える。
@harapion: 安田一郎訳編『フロイトとマルクス』。ソ連の哲学者デボーリン編『マルクス主義の旗のもとに』ドイツ語版で行われた論争、ユリネッツによるマルクス主義からの精神分析学批判から始まり、W・ライヒの両者の統合を図ろうとする論文、さらにその批判……が収められている。
@harapion: 安田一郎訳編『フロイトとマルクス』(誠信書房)。ここに入っているW・ライヒ「弁証法的唯物論と精神分析」は、『性の革命』(角川文庫)巻末付録論文と同じである。そしてS・フロイト「精神分析は世界観か」は『続精神分析入門』第35章と同一である。何が違うかというと……。