2017年03月15日のツイート
@harapion: @KoizumiSamukawa 病院内にコンビニが入る段階で、病院側が条件として入院グッズを置くように言っているのだと推測します。大きい病院の近くに、お見舞い用の果物を売る小売りが出来たりする、その現代的な形態なのでしょうね。
2017-03-15 23:45:03 via Twitter Web Client to @KoizumiSamukawa
@harapion: RT @Yomiuri_Online: オウム真理教主流派の施設が全焼しました。URL URL
@harapion: こちらはカフカの「断食芸人」を連想させます。初めは見世物芸としての断食と思いきや、最期にこの世界が合わなかった、世界への違和が表明される話です。この絵から、痛みの表現を通しての世界との不協和、断絶、救いへの渇望を感じます。 URL
@harapion: @VkwIM3XASkRVzZC ドストエフスキーの影響下のもとで、サルトルもカミュも、その文学と思想を展開しましたから、ドストエフスキーに触れた私の文章から、実存主義的な事を考えられたのは自然な事だと思います。
@harapion: @VkwIM3XASkRVzZC ええ、それは実存主義的な考え方ですね。人は世界の中に投げ込まれるようにして生まれて存在し(被投性)、その実存が自分はどうあるべきかを選び、自己形成をしていく。こ人間であることは、人間になることであるとヤスパースが言っているのは、この意味です。
2017-03-15 20:14:09 via Twitter for Android to @VkwIM3XASkRVzZC
@harapion: @irisvoices 確かリルケが若い詩人に、書かざるを得ない想いに駆られて自分は書いている、それがないと駄目なんだと書いていたと記憶します。内田さんも自己肯定感の喪失が、表現の原動力になっているのではないでしょうか。それは内田さんが魂を撃つ本物の表現者の証しだと思います。
@harapion: RT @jamafra1243: 一瞬で痩せるURL
@harapion: D・スネルグローブ著、中沢新一訳『ドルポのラマ僧の記録』(せりか書房)が読みたい。図は、せりか書房、1980年の近刊予告から。『記号論とアジア(仮題)』は、内容から推察して『セメイオチケ』か。 URL
@harapion: 「死んで転生するのではなく、現世で生まれ変わる」というのが、ドストエフスキーの小説に出てくる登場人物の抱えている観念のようで、凄みを感じました。彼岸での永遠の生ではなく、此岸での永遠の生。「生まれ変わりたい」というのが、存在の革命… URL