しらい - ロリータ理論 Shirai - Lolita Theory
作詞・作曲:松永天馬(アーバンギャルド)
編曲:久徳亮
振付:赤城文
監督・撮影・編集:友海(woopie)
照明・撮影助手:田中瑛二
REC&MIX:大島久明
Ⓒ少女都市
しらい 「ハンバート・ハンター」
作詞・作曲・プロデュース 松永天馬
編曲 久徳亮
REC&MIX 大島久明
「ロリータ理論」作詞・作曲:松永天馬 編曲:久徳亮
「ロリータ理論」は、ロリータ服を着ることから、ひとつの倫理(エチカ)であり、生き方の筋(すじ)を導き出す試みである。ちょうど、武士から武士道が生まれたように、ロリータ服を着こなすことからも、ロリータ道が導き出せるはずである。冒頭、ロリータ倫理学は、可愛いだけではだめで、強くなければならないというテーゼが唱えられる。
続いて、フリルやリボンといった観点について、ロリータ服の条件が考察される。ここで、客観的条件ではなく、主観的条件が重要だと主張される。なぜなら、ロリータ服を着ることは、なによりも実存的な選択であり、実存的な決断を伴い、単に衣裳だけでなく、生き方まで直結するからである。
ロリータ道をゆく者は、刺繍というテクネー(技術)が必要だと言う。針と糸は、剣やペンよりも強く、生地に文字や模様を刻む事ができるだろう。
「可愛いは正義」という言葉がもてはやされたが、ここでは「可愛い」に加えて「強い」という条件を兼ね備えて「正義」となるのだ、と説かれる。「強い」は精神的に強いのみならず、身体的にへこたれない、凛として毅然とした態度を取れるという意味だろう。そして「強さ」において、時には「悪魔」性を帯びると指摘される。あたかも、アーバンギャルドの曲「あくまで悪魔」の主題に接続するように。
ロリータ服を着ることは、生きることであり、時に不安をかかえて、自分を切りたいと思うことがあっても、緊張感をもって不安と対峙していく決意性の現われである。
ロリータ理論とLONELYで韻を踏む歌詞に入るが、音以上の関連性があり、ロリータ服を着て、それにふさわしい倫理を身にまとうことは、孤独な私だけの決断であり、他人の指図やものさしは参考にならないからである。こうしてロリータ服を着て、変身すると、最終兵器少女に、戦闘的少女になるのである。
それは、論より、まず最終兵器少女として実際に生きることであり、距離をおいて眺めたり、論じたりすることではないのである。これについては、松永天馬の曲「パフェ評論」の主題が、パフェを眺めたり、インスタ映えするといって写真を撮るよりも、食べることが重要と説かれていたのを思い出そう。
ロリータ、ロリィタ、ロリヰタ、表記はいろいろあるが、問題は自分が納得するかである。なぜなら、ロリータの倫理は、自分本位の革命を貫徹することを要請しているからである。
ロリータ服を脱がないというのは、覚悟のあらわれであり、血をぬぐわないことは、どんなことがあっても退却しないという決意を指している。
そして、この曲最大のテーゼが到来する。ロリータは哲学であり、宗教であり、法律であり、国家である。個人的、主観的、実存的な決意表明が、痛みすら覚悟するようになり、実存論的な評論を蹴散らし、世間体や常識をひねりつぶして、自分だけの世界を構築し、遂にはロリータ国家にまで至るのである。この箇所について、作詞の松永天馬は、映画『三島由紀夫VS東大全共闘』を見ていて思いついたと言っている。
最後に、この曲は、万国のロリータに対する呼びかけで終わる。ロリータよ、集え!
アーバンギャルド「あくまで悪魔」
松永天馬 「パフェ評論」