ピエール・クロソウスキー『ニーチェと悪循環』

「意識そのものは、諸衝動から伝達されるメッセージの暗号への組み換え以外のなにものでもない。」(ちくま学芸文庫版P66)
クロソウスキーは、まず情動(諸衝動)に注目する。これは系統だったものではなく、多方面に走り出そうとする脱属領化の傾向を持っている。この情動(諸衝動)を、彼は「うごめく力のかずかず」(P63)と言い表す。ここで、彼がそれを複数の力として捉えていることに注目したい。
意識は、まず情動(諸衝動)があって、後にそれが権力装置によって編成されて、ひとつに構成される。意識は、ア・プリオリにあるのではない。後天的に編成されるのだ。
クロソウスキーは、ニーチェの持病であった頭痛に注目し、頭痛とはニーチェの生体的自己が、情動(諸衝動)が持っている解体に向かう運動を押しとどめ、自己を守ろうとするための攻撃であるとする。情動(諸衝動)は、解体=脱コード化に向かう方向性をもっているが、隷属性から脱却するためには、頭脳を通過する必要がある。だが、このような解体の欲動が通過する頭脳とは、一体何か。
クロソウスキーを読みながら、私は南方熊楠の考えた南方曼荼羅(マンダラ)を想起していた。南方熊楠は、南方曼荼羅(マンダラ)によって、自身の爆発する頭脳を抽象化することなく一気に捉えようとしたのではなかろうか、と考えるのである。

ニーチェと悪循環 (ちくま学芸文庫)

ニーチェと悪循環 (ちくま学芸文庫)