Coliwiki  http://www.wikihouse.com/coliwiki/index.php?Coliwiki に、実存主義の項を執筆。

以下は、その原文。ここまで書いたが、まだ言い足りないのです(笑)。 
実存主義実存主義とは、ジャン=ポール・サルトルの言葉を引用すると、「実存は本質に先立つ」とする立場である。実存主義の反対語は、本質主義であり、本質が実存に先立つとする立場である。
例えば、人間がペーパーナイフをつくる場合、ペーパーナイフとはなにかというイデー(観念)が先にあって、ペーパーナイフをつくることになる。このペーパーナイフのイデーが本質である。しかしながら、人間の場合、あらかじめ人間とはなにかという本質が決まっているわけではなく、人間は自分で成りたいものになるべく、未来に投企し、自分をつくりあげる。ゆえに、ジャン=ポール・サルトルは人間の場合、「実存は本質に先立つ」とする。つまり、ジャン=ポール・サルトル実存主義は、人間が自由であることの宣言なのである。
実存的コンプレックスから生じた神経症に対してロゴテラピーという心理療法を提唱したヴィクトール・フランクルは、本質主義をホムンクリスムス(人造人間合成術)と呼んだ。ホムンクルスとは、ヨハン=ウォルフガング=フォン・ゲーテの『ファウスト』に出てくる人造人間のことであるが、「人間は、○○に過ぎない」という偏った還元主義的見方をホムンクリスムス(人造人間合成術)と呼ぶ。ヴィクトール・フランクルは、ナチス強制収容所からの生還者であるが、「人間は遺伝によって決まる動物に過ぎない」とか、「人間は環境によって決まる動物に過ぎない」という血と土を絶対視するホムンクリスムス(人造人間合成術)がナチズムの根底にあったとする。ヴィクトール・フランクルもまた、「実存は本質に先立つ」という実存主義に依拠しているのである。
ジャン=ポール・サルトルの分類によると、実存主義キリスト教実存主義無神論実存主義に分類できる。キリスト教実存主義者には、セーレン・キルケゴールカール・ヤスパースガブリエル・マルセルらがいる。無神論実存主義者には、フリードリヒ・ニーチェマルティン・ハイデッガージャン=ポール・サルトルらがいる。ジャン=ポール・サルトルをした上で、無神論実存主義の方が、論理的に筋が通っていると考える。というのは、有神論の場合、神が人間を創造した際に、人間とはなにかというイデーが先にあったことになるからである。
ジャーナリスティックに使用されている実存主義の概念からすると、セーレン・キルケゴールフリードリヒ・ニーチェマルティン・ハイデッガーカール・ヤスパースガブリエル・マルセルジャン=ポール・サルトルシモーヌ・ド・ボーヴォワールアルベール・カミュ、モーリス・メルロ=ポンティシモーヌ・ヴェイユジョルジュ・バタイユらが、実存主義者ということになり、フョードル・ミハイロヴィッチドストエフスキーフランツ・カフカ実存主義文学の先駆ということになる。しかしながら、自らの立場を実存主義としているのは、ジャン=ポール・サルトルが編集主幹を務めた『ル・タン・モデルヌ(現代)』グループだけである。このグループの中に、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、モーリス・メルロ=ポンティフランシス・ジャンソンクロード・ランズマンらが含まれる。ちなみに、ジャン=ポール・サルトルと同時代人であったアルベール・カミュは、自身の哲学を「不条理の哲学」とし、不条理を見つめていながら、ぎりぎりのところで超越を図る実存主義を否定している。
例えば、マルティン・ハイデッガー?の『存在と時間』の場合、存在者(あるもの)ではなく、存在(ある)とはなにかが、哲学上の課題になっており、彼はそのためにエグムント・フッサール現象学の手法を導入して、基礎的存在論を構築しようとしたのである。マルティン・ハイデッガー?が、現存在(実存)分析を行ったのは、人間存在だけが存在(ある)ということについて、ぼんやりとしてではあるが了解していると考えたからであった。しかしながら、マルティン・ハイデッガーが哲学上の難問(アポリア)を解く為の手段として導入した現存在分析から、ジャン=ポール・サルトル実存主義が生じ、ルードヴィヒ・ビンスワンガーの実存分析的心理学が誕生したのである。マルティン・ハイデッガーの存在(ある)とは、哲学的な抽象概念で語られた神であり、現在喪われているとはいえ、再び生きられた神がそこに棲む場所を残していたと考えることができる。ところが、ジャン=ポール・サルトルの『存在と無』になると、語られているものは存在者ばかりである。ジャン=ポール・サルトルは、即自存在(もの)と対自存在(人間)を分類し、さらに対他存在(人間の疎外態)について思弁を巡らせる。これらは、マルティン・ハイデッガーのいう存在者であって、存在ではない。ジャン=ポール・サルトルにおける人間存在は、それ自身を支える根拠の不在を晒した偶然の存在者なのである。
では、マルティン・ハイデッガーの同時代人のカール・ヤスパースはどうか。カール・ヤスパースの哲学は、自身の哲学を実存哲学と呼んでいるが、実存主義とは呼んでいない。カール・ヤスパースは、実存を「主義」や「手段」として用いることを拒否しているからである。とはいえ、カール・ヤスパース?もまた、哲学的な思惟のはじまりを実存から出発する哲学者である。「人間であることは、人間になることである。」というカール・ヤスパースの言葉は、人間存在が初めから人間であるのではなく、自らを創り出すということを言わんとしている。カール・ヤスパース?は、キリスト教実存主義者であり、神の実在の自覚によって、自己の実存がより確かなものに感じられると考える。カール・ヤスパースは、有神論的であるということと、実存的に生きるということが矛盾するとは考えない。

哲学史における実存主義の位置づけ
実存主義の祖は、セーレン・キルケゴールフリードリヒ・ニーチェであるが、彼らの思想の共通点は、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルの哲学体系に対する叛逆という点にある。
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルの哲学は、ドイツ観念論の完成形態であり、西欧合理主義哲学の最終形態であった。
西欧合理主義哲学は、フランスのルネ・デカルトの『方法序説』における「コギト・エルゴ・スム(我思う、ゆえに我あり)」という言葉から始まる。ルネ・デカルトは、すべてを疑いつくして、疑いきれないものから出発する「方法的懐疑」をとった。その結果、辿りついたのは、すべてを疑っている自分自身というコギト(自我)であった。そして、このコギトから一切を導き出そうとした。疑っているということは、このコギトが不完全だからであり、不完全と言えるためには完全なものがあって初めて言えることであるから、ここから完全を体現するものとして、神の存在が導き出されるというわけである。普遍的原理から論理的推論を展開し、個別の事象を結論づける演繹法を唱えたルネ・デカルトは、大陸合理論の祖となった。
一方、イギリスで個別の事象から普遍的事実を論理的に導き出す帰納法を唱えたフランシス・ベーコンは、イギリス経験論の祖となった。さらに、ジョン・ロックは、『人間知性論』で、人間はもともとタプラ・ラサ(白紙)状態であり、繰り返し経験を積むことで、観念が生じ、複雑な観念に発展してゆくと考えたのである。このイギリス経験論は、ディヴィッド・ヒュームに至ると懐疑主義に陥り、「自我とは知覚の束である」として、外界の実在性や、それを認識している自我の実在性さえもが揺らぎ始めた。ドイツのイヌマエル・カントは、ディヴィッド・ヒュームによる哲学上の危機を乗り越えるために、『純粋理性批判』において、大陸合理論とイギリス経験論を綜合し科学的認識論の基本となる枠組みを打ち立てた。イヌマエル・カント以前においては、人間の認識は外界から受動的に写し取ることによると考えられていたが、イヌマエル・カントは認識論上のコペルニクス的転換を行い、人間の方が能動的に外界に働きかけ、認識対象を確定させるとしたのである。この場合、人間は先天的悟性能力によって、外界から獲得できる情報が制限されるので、外界の物自体は認識できないということになる。イヌマエル・カント以降、ドイツ観念論は、主観的観念論を唱えるヨハン・ゴットリープ・フィヒテと、客観的観念論を唱えるフリードリヒ・シェリングに分裂することになる。これらは、認識する主体と認識不能な物自体の二元論を、一元論的に統一することを目的としており、ヨハン・ゴットリープ・フィヒテは、外界は自我が自己を認識するために創り出した非我であるとし、物自体を解消しようとするものであり、フリードリヒ・シェリングは外界は創造的な自然が創り出したものとすることによって、認識論的二元論を解消しようとするものであった。
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルは、精神の弁証法的な運動という概念を導入して、主観的観念論と客観的観念論を綜合するという方向性を取った。ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルは、人間の精神を、テーゼ(正)とそれに対するアンチ・テーゼ(反)と、その両者を高い次元で止揚するジン・テーゼ(合)という形で弁証法的な発展を遂げてゆくものとして捉え、最終的に絶対精神に向かうものとした。『精神現象学』で展開されたこの思想は、絶対の自由を志向しながら、完成とともに無限の専制を肯定するものであった。ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルの絶対弁証法は、哲学的には合理主義哲学体系の完成を意味し、政治的には当時のプロイセン国家を絶対視する御用哲学となっていったのである。
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルの精神の弁証法に対して、カール・マルクスは唯物弁証法を対置し、マルクス主義唯物史観)を唱えた。そして、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルの「あれも、これも」という量的弁証法に対し、セーレン・キルケゴールは「あれか、これか」の質的弁証法を唱え、実存主義への道を切り開いたのである。
キリスト教という観点から見ると、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルにおける絶対(神)は、セーレン・キルケゴールの立場からすると、思弁的な理念に過ぎず、生きられた神ではない。セーレン・キルケゴール?は、これに対し「単独者」として神の前に立つひとりの「キリスト者」でありたいと考えた。一方、フリードリヒ・ニーチェの立場からすると、「神は死んだ」のであり、神を頂点とする体系を打ち立てること自体が不誠実の証しということになる。こうして、セーレン・キルケゴールフリードリヒ・ニーチェは、両極端の立場からゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルの哲学体系を否定するのである。