Coliwiki  http://www.wikihouse.com/coliwiki/index.php?Coliwiki 実存主義に、以下の文章を加筆。

ジャン=ポール・サルトルは、戯曲・小説を通じてマルチに活躍したため、フランス国内でもジャン=ポール・サルトルの熱狂的なファンを公言するボリス・ヴィアンのような作家や、ジャン=ポール・サルトルへのラブ・レターを書いたフランソワーズ・サガンのような作家を生み出した。フランスにおける実存主義文学の運動は、ステファン・マラルメアンドレ・ジッドによる象徴主義文学に続くもので、アンドレ・ブルトンによる超現実主義(シュルレアリスム)の芸術運動に対立するムーヴメンツであった。(無意識の存在を否定するジャン=ポール・サルトルの立場は、ジークムント・フロイト精神分析学に依拠し、潜在意識の解放を説く超現実主義と鋭く対立する。)
我が国で実存主義の影響を受けた作家としては、フョードル・ミハイロヴィッチドストエフスキー、シェフトフ、セーレン・キルケゴールフリードリヒ・ニーチェの影響を受けた埴谷雄高椎名麟三フランツ・カフカの影響を受けた安部公房フランツ・カフカジャン=ポール・サルトルアルベール・カミュの影響を受けた大江健三郎倉橋由美子、フョードル・ミハイロヴィッチドストエフスキー、モーリス・メルロ=ポンティの影響を受けた加賀乙彦(小木貞孝)らがいる。

「アンチ実存主義とポスト実存主義
ジャン=ポール・サルトルは、マルクス主義に寄生するイデオロギーとして実存主義を位置づけ、実践惰性態としての構造を変革し、歴史をつくるプラクシス(実践作用)を重視する『方法の問題(弁証法的理性批判序説)』と『弁証法的理性批判』を上梓するが、これを根底から批判したのが、文化人類学クロード・レヴィ=ストロースによる『野生の思考(パンセ・ソバージュ)』であった。
クロード・レヴィ=ストロースの立場は、構造主義と呼ばれた。代表的な構造主義者に、哲学者・歴史学者のミッシェル・フーコー(彼は、後にポスト構造主義者に分類されるようになる)、精神分析学者のジャック・ラカンマルクス主義者のルイ・アルチュセール、文芸批評のロラン・バルトがいる。 構造主義は、アンチ実存主義である。人間が歴史をつくることを強調するジャン=ポール・サルトルに対し、クロード・レヴィ=ストロースは、構造が人間を規定することを説き、人間中心主義に異議を唱える。通時性を重視し、歴史の流れを強調するジャン=ポール・サルトルに対し、ミッシェル・フーコー共時性を重視し、人間の思考はエピステーメーによって規定されており、次の時代との間に地層のような段差があるとする。無意識の存在を否定するジャン=ポール・サルトルに対し、ジャック・ラカンは無意識の存在を主張し、主体は鏡像段階を経て作られるとする。主体主義的(人間中心主義的)マルクス主義を主張するジャン=ポール・サルトルに対し、ルイ・アルチュセールカール・マルクスは初期と後期で認識論的断絶があり、初期は人間中心主義的であったが、後期ではそういうブルジョワイデオロギーとは手を切っていると主張する。文学の読解の際に、背後にある人間主体を浮き彫りにすると当時に、アンガージュマン(社会参加)のための文学を説くジャン=ポール・サルトルに対し、ロラン・バルトはテクストそのものを自由に解釈する快楽を説き、何かのために文学を従属させることを拒否する
一方、コリン・ウィルソンの提唱する新実存主義は、ポスト実存主義として位置づけられる。コリン・ウィルソンは、先行する実存主義をペシミスティックと批判し、自らの立場をオプティミスティックとする。コリン・ウィルソンは、マルクス主義に接近したジャン=ポール・サルトルに対しては否定的で、セーレン・キルケゴールフリードリヒ・ニーチェの段階の実存主義をゆがめて継承したと考えている。コリン・ウィルソンは、哲学的にはエグムント・フッサールとアルフレッド・ノース・ホワイトヘッド、心理学的にはアブラハム・マスローの絶頂体験(至高体験)の心理学をポジティヴに捉えなおしたものを導入し、実存主義を再生させようとしている。
コリン・ウィルソンの側からのアンチ実存主義構造主義以降の思想)への見解は、『知の果てへの旅』で知ることができる。