昨日、アレクセイの花園 http://8010.teacup.com/aleksey/bbs に「仮設舞台は変われども」を投稿

以下は、その原文。
笠井潔の『サイキック戦争』の主人公は、竜王翔(リュウオウ・カケル)です。
カケルを連発するのは、なぜなんでしょうか?
竜王は、どこから来たのでしょうか。私は、竜王というと、綜合ヨガ・竜王会を基にする神智学協会ニッポン・ロッジを連想します。(考えすぎかもしれませんが。竜王翔はサイキック能力があるということになっているので、ミステリアスな雰囲気を出すために、オカルト関連で出てくる用語を使っているのではないかと思うのです。)
無論、笠井潔の伝奇SF(コムレ・サーガ)の世界を、直接、矢吹駆シリーズの本格ミステリの世界に繋げることはできません。本格ミステリは、コード(物語を進める上での約束事)さえ決めておけば、山口雅也西澤保彦が実作で試みているように、奇抜な設定でも本格のロジックを展開することは可能ですが、矢吹駆シリーズの世界の設定は、この世界と地続きですから。
しかし、笠井潔は、こんなことを書いてしまう作家なのです。「過去百年、あるいは千年にもわたり、読むにあたいする文学作品は例外なしに、飽くことなくおなじ主人公のおなじ運命を描いてきたともいえるだろう。」(『黄昏の館』徳間文庫版83ページ)笠井にいわせると、それは「不可能であると知りながら、それでも永遠の時をめがけて決死のジャンプを敢行してしまう」主人公であり、「仮設舞台」が変わるだけで、ダンテもファウストも、『失われた時を求めて』の話者も、『城』のKも、マルテもラスコーリニコフも、同一人物だというのです。
私には笠井潔の小説は、「仮設舞台」が変わるだけで、いつも似たようなタイプの人間を、くりかえし描いているように見えます。
[追伸]
http://web.thn.jp/kbi/zatu3.htm の1月6日の箇所に、中井英夫による笠井潔の『哲学者の密室』に関するコメントが載っています。