奇怪な思念が棲まう場所とは

私は結局、多孔質の奇怪なオブジェを作り出し、そこに複雑な自分の思念を棲まわせようとしているのかもしれません。
私の情熱を理解できる人は、極めて限られていると思います。
例えば、核戦争で人類が滅びても、私の部屋にある書物さえ残れば、20世紀以降の人文諸科学は短期間で再建できるようにしようとしています。実に馬鹿げたことですが、本当のことです。
私は子供のころから、「平凡な日常風景のなかに危機感を嗅ぎ取ることが必要だ。」という言葉を、いつも呟いていました。いったい、なにをして、私をこうあらしめたのか、私にも了解できないところがあります。私は幸福のなかに不幸の予兆を、生のなかに死の翳りを、神経を張り巡らして嗅ぎ取ろうとしていました。
また、背後世界ではなく、この世界における永遠の生命の可能性を探求する上で、参考になりそうな古今東西の文献を収集するというのも、私のとり憑かれている奇怪な観念といえます。