黒猫掲示板 http://8512.teacup.com/3338/bbs 「僕の叔父さん 網野善彦」を投稿

以下は、その原文
ジャック・タチではなくて、『僕の叔父さん網野善彦』を書いた中沢新一の話をします。
私は、中沢新一の文体が好きなのですが、彼の文体は宮澤賢治の『註文の多い料理店』の文体の影響を受けているような気がします。『チベットモーツァルト』は現代思想の学術用語を散りばめた硬い文体でしたが、徐々にゆるやかな河の流れのような文体に身をひたすような快楽を与えてくれる文体になってきたように思えるのです。彼は、人間の精神のかたちをオブジェのように語りますが、宮澤賢治にもそういうところがあります。
最近、彼は「対称的」という言葉をよく使います。彼が圧倒的に非対称な世界と考えるのは、ドルと英語と米国音楽という単一の価値に収斂させてゆくグローバリゼションと、それに対抗しようとする一神教原理主義テロリズムが対立しているような息も詰まる世界です。それに対し、対称的と考えるのは、自然と親和的なアミニズムの世界であり、『註文の多い料理店』のように動物と人間が同価値で、時には動物の方が料理人として振舞うような世界です。
どうも、文体のみならず、考え方まで宮沢賢治的な感じがします。ちなみに中沢には『哲学の東北』という宮澤賢治論もあります。この本で中沢は『春と修羅』に、生命が芽吹くことに対するエロティックな感受性が賢治にはあったのだとしています。
『僕の叔父さん網野善彦』は、叔父の歴史学者網野善彦が石つぶてに関心を持ったというエピソードから入っています。石を投げるというのは、昔からあった謀叛のスタイルなのでしょう。宮澤賢治における春の芽吹きと、網野善彦の石つぶて。これは、根底から湧き上がり、新しい世界を創造しようとする生命の現われという共通項があります。