2012年12月24日のツイート
@harapion: ドゥルーズ=ガタリのリゾームとトゥリーは、現代思想の世界では通用している言い方だが、今、ここで表現の的確さを優先し、私が変形菌システムと、軍隊アリシステムという言い方を突如初めても、なんのこっちゃで終わるだけなのだろう。でも、気にいった方は、使ってください(笑い)
2012-12-24 12:27:14 via web
@harapion: ドゥルーズ=ガタリは、権力システムをトゥリー(樹木)と表現するのではなく、意味がよく判るように系統樹とするか、比喩にこだわるのならば、軍隊アリとすべきだったのではないか、と思っている。
2012-12-24 12:23:54 via web
@harapion: ドゥルーズ=ガタリのトゥリーは、リンネの系統樹のような構造を指す。悪玉を樹木と表現するのは、適切ではない。緑の環境保全運動は、言うまでもなくリゾームの側にある。『三つのエコロジー』を書いたガタリは、緑をリゾーム側に捉えていたのは間違いない。
2012-12-24 12:21:11 via web
@harapion: ドゥルーズ=ガタリのトゥリー(樹木)は、リゾーム(根茎)の対極にある概念である。トゥリーは、軍隊とか、権力機関のようなものを指すから、従来ピラミッド型の権力組織とか表現してきたものだ。但し、彼らは関係論的にものを見るから、二項対立で枝分かれした体系という観点からそう表現した。
2012-12-24 12:14:46 via web
@harapion: ドゥルーズ=ガタリのリゾームは、例えば、ここに脱原発の理念を掲げる人がいて、ツイッターやフェイスブックで結びつき、実現を目指す集団関係をつくる、そういうことである。その際の人の繋が方を関係論的に見ると、リゾームみたいと言ったのだ。それなら馬鈴薯より変形菌のようが的中している。
2012-12-24 12:10:05 via web
@harapion: 馬鈴薯よりも、地下にネットワークをつくり、時に胞子を撒き散らし、時に鞭毛をもった細胞となり、アメーバのように移動するという変幻自在の生成変化を行い、多種多様性を持つ粘菌のほうが、ドゥルーズ=ガタリの言いたかったことに近いのではないか、と思えるのだが、どうだろう。
2012-12-24 12:05:08 via web
@harapion: ドゥルーズ=ガタリのリゾームは、根茎のことである。彼らが話題になったとき、晩年の澁澤龍彦は馬鈴薯ではないかと書いている。ドゥルーズ=ガタリは、アンダーグラウンドで、ネットクークをつくり、変革のための起爆力を得るような人間関係のあり方を表現しようとして、リゾームと言ったのである。
2012-12-24 11:56:20 via web
@harapion: 南方熊楠が研究した粘菌……『日本変形菌類図鑑』平凡社17頁を開くと、時間を追って倒木上を移動するムシホコリを、伊沢正名の連続写真で見ることができるが、粘菌=変形菌のあり方を見ていると、この方がドゥルーズ=ガタリがリゾームという言葉で示したかったイメージではなかったかと思えてくる。
2012-12-24 11:52:28 via web
@harapion: 浅田彰は「キノコの音楽―ジョン・ケージを聴く」(『ヘルメスの音楽』ちくま学芸文庫)で、中沢新一は「ジェネレーター1」(『雪片曲線論』中公文庫)で、ジョン・ケージ『小鳥たちのために』青土社に触れ、菌糸の集合体としてのキノコ、その複数性、多様性、生物体としてのゆらぎに注目している。
2012-12-24 11:44:37 via web
@harapion: 次の(あ)?(え)の写真を、進化してきた順番に並び替えてみましょう!:【進研ゼミ】笑いを征する者が受験を征す。試験問題の傾向と対策と模範解答集【Z会】 - NAVER まとめ URL
@harapion: @enju1948 ペヨトル工房から刊行予告が出ていたが、結局、ペヨトル解散で刊行されずに終わったクロソウスキーの『サドとフーリエ』が読みたいです。私のなかでは、サドとバタイユの『呪われた部分』が対応していて、フーリエとクロソウスキーの『生きた貨幣』が対応しています。
2012-12-24 01:16:12 via web to @enju1948
@harapion: アンドレ・ブルトンや、ピエール・クロソウスキー、ヘルベルト・マルクーゼ、異なる立場から評価されるシャルル・フーリエの思想(『四運動の理論』、『愛の新世界』)。やはり、最先端思想は、この19世紀の思想家のなかに秘められており、私たちに読み解かれるのを待っている。
2012-12-24 00:35:09 via web
@harapion: 「今日、左翼前衛芸術派の知識人の間でフーリエの著作がふたたびアクチュアルなものになっているのは偶然のことではない。…労働が遊びになることの可能であるような社会…マルクスでさえある程度遠慮していたのであるが…いささかもたじろぐことのなかったのもフーリエであった。」(前掲書15頁)
2012-12-24 00:17:20 via web
@harapion: ヘルベルト・マルクーゼ『ユートピアの終焉 過剰・抑圧・暴力』(合同出版)を読む。マルクーゼは「科学よりユートピアへ」というスローガンを唱える。彼の価値体系で上位に来るのは遊戯性であり、出来れば労働はなしで済ませたい。で、労働が遊戯になる社会を構想したフーリエを評価する。
2012-12-24 00:12:04 via web