2013年03月08日のツイート
@harapion: RT @VB_Rena: 拡散希望きのこーん?RT @natalie_mu バニラビーンズ、最新シングルはカジヒデキとの北欧コラボ URL
2013-03-08 23:47:38 via web
@harapion: 昨晩から細切れの人間像について云々しているが、フランクルの「ホムンクリスムス(人造人間合成術)=本質主義」批判も念頭において考えていたりする。
2013-03-08 17:54:13 via web
@harapion: フランクルは、ナチズムの根底には、人間は遺伝や環境で決まるというような考えがあったから、自分をガス室に入れようとしたのだと考えた。これは、ホムンクリスムス(人造人間合成術)であり、本質主義である。こういった細切れの人間像が、殺人正当化理論に行きつくというのだ。
2013-03-08 17:48:07 via web
@harapion: ヴィクトール・フランクルは『精神医学的人間像』(みすず書房)のなかで、ホムンクリスムス(人造人間合成術)を批判した。ホムンクルスはゲーテの『ファウスト』に出てくる人工人間だが、フランクルは人間は遺伝や環境で決まるとか、一面だけを抽出して人間が決まるというような考えを批判した。
2013-03-08 17:42:46 via web
@harapion: 「構造としての人間」と言われてもイメージが浮かばないかも知れない。例えば、南方熊楠という人が生まれたとき楠の樹も一緒に植えて、無病息災を祈願したそうだが、これに似た風習はどこの地域にもあったはずだ。自然と人間が一体化した世界での人のあり方と考えればよい。
2013-03-08 17:38:38 via web
@harapion: シュタイナー教育の根本には、断片的な(細切れの)人間像の拒否があると思うが、ここに「構造としての人間」を持ってきても、シュタイナーの狙いと大きな隔たりはないのではないか。
2013-03-08 17:35:02 via web
@harapion: 北沢方邦『構造主義』(講談社現代新書)の概略。スピノザ=ルソー=ゲーテ的人間がいたが、マルクス的人間とフロイト的人間に分裂した。「構造としての人間」は、現代社会には喪われたが、第三世界には残っている。分裂した人間像を統合することで、「構造としての人間」を復活させようというわけだ。
2013-03-08 17:29:18 via web
@harapion: 橋爪大三郎『はじめての構造主義』(講談社現代新書)の登場とともに、北沢方邦『構造主義』(同新書)が書店の棚から消えた観があるが、北沢の方が刺激的である。内容からすると、北沢の本は弁証法的構造主義であり、入門書を超えて、オリジナルの視点がみられる。
2013-03-08 17:20:55 via web
@harapion: RT @seigi15: 拡散してください!必見です!"@greenEcho64: 「美味しんぼ」作者の橋下市長批判が鋭いです!これだけ警鐘を鳴らされてる人を、大マスコミこぞってヨイショする今の日本はどれほど異常なのか→ 橋下氏のこと | 雁屋哲の今日もまた http:/ ...
2013-03-08 13:36:39 via web
@harapion: 山形浩生は「たかがバロウズ本。」で、例の口の悪さで、武邑の文章には実は中身がないのだと言っている。「GSたのしい知識」でも、正確にいうとバロウズに「スピリチュアル・セミオテクスト」についての興味喚起させると言っている。「スピリチュアル・セミオテクスト」って何?意味不明だよね。
2013-03-08 10:51:04 via web
@harapion: 「WAVE5号メタフィクション」(ペヨトル工房)の冒頭で、W・S・バロウズが取り上げられ、ここに坂本龍一と武邑光裕が関与していたと記憶する。刊行年は1986年。武邑の吹き込んだ出口王仁三郎の影響があるとすれば、1988年に出た西方浄土こと『ウエスタン・ランド』が怪しい?
2013-03-08 10:46:45 via web
@harapion: 『GS・たのしい知識 Vol.1 反ユートピア』(冬樹社、1984)で、武邑光裕がW・S・バロウズと対話する際に、出口王仁三郎の霊的記号論について興味喚起をしてみようと書いていて、その後、どうなったか気になったのだが、この接触はペヨトル工房から出ていたWAVEで言うと5号の頃だ。
2013-03-08 10:40:26 via web
@harapion: 山形浩生の『たかがバロウズ本。』が、Webで読めるとは!URL
2013-03-08 10:35:20 via web
@harapion: (4)性格の鎧という考え方を導入するなら、シュタイナーの記憶力ばかり負担をかけると、いつか血管まで硬化し始めるという断定が、あながち外れていないのではないかと思えてくる。断定までは云えないが、そういうこともあり得るのだと。
2013-03-08 02:09:15 via web
@harapion: (3)W・ライヒの性格の鎧とは、権威主義的パーソナリティーなどにみられる症状で、精神のこわばりが、筋肉のこわばりに繋がる。常に受け身で知識をプリントアウトされるならば、緊張状態の持続で、人格だけでなく、筋肉まで固くこわばることになる。
2013-03-08 02:06:09 via web
@harapion: (2)暗記教育を軸とする管理教育は、ロボットのように従順な人間を、大量生産するシステムだと言ってもいい。そこには生徒の側から積極的に学び取る教育はなく、教師の側からプリントアウトされる受動態の教育しかない。W・ライヒの理論を導入すれば、性格の鎧を造りだしてしまう。
2013-03-08 02:02:44 via web
@harapion: (1)シュタイナーでよくわからない事は、8?9歳の頃に記憶力に負担をかけさせると、50歳になると原因不明の動脈硬化になると言ったりするところ(『人間理解からの教育』ちくま学芸文庫23頁)暗記教育は、印刷のように既成の知識をプリントアウトする事。ここには創造的な教育はない。
2013-03-08 01:56:54 via web
@harapion: シュタイナー教育は、管理教育の正反対。その核心は、人間を(経済人であるとか、リビドー機械であるとか)細切れの断面で理解するのではなく、全人格的に捉える点と、創造的に成長発展するものとして捉えるところにあるのではないかと思う。ゲーテがいて、その後継者としてシュタイナーがいる。
2013-03-08 01:47:22 via web
@harapion: シュタイナー学校には、テストがなく、教科書もない。クラス担任は8年間継続、官僚ではないから、担任の全人格が子供の人格に与える影響が重視される。シュタイナーは「教科書を捨てること」を説き、「教科書を学校で使えば、子どもの個性を破壊する」という。(『人間理解からの教育』ちくま80頁)
2013-03-08 01:38:01 via web
@harapion: (ショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』に触れた後で)「もし、天才的な犬が本を書いたら、『意志と匂いとしての世界』という本を書いたでしょう。」(『人間理解からの教育』ちくま学芸文庫97頁)← これって、ルドルフ・シュタイナーの冗談なのだろうか?
2013-03-08 01:26:19 via web