2013年04月29日のツイート
@harapion: 第4の壁を破ろうとすると、虚構の世界に現実が侵入するから、必然的にメタ・フィクション化するのではないかな。映画だと、メタ・ムービー……って言葉はあるのかな。知らんけど。
2013-04-29 23:52:26 via web
@harapion: 倉橋由美子の『暗い旅』は、私ではなく、<あなた>がどうしたという二人称小説になっているが、これも読者を物語の迷宮に誘導する方法という点で、第4の壁を破るということに繋がるのかも知れない。
2013-04-29 23:50:09 via web
@harapion: @enju1948 そうなのですか。ブレヒトというと、政治劇のイメージがあって、ベケットとかイヨネスコの系統の方が多いのかな、と素人考えをしていました。確かに「異化効果」といった言葉は、評論とかエッセイの類いでも見かけた時期があります。
2013-04-29 23:45:28 via web to @enju1948
@harapion: RT @enju1948: @harapion むしろ現代演劇でブレヒトの影響受けてないほうが圧倒的に少ないと思いますけど?
2013-04-29 23:32:51 via web
@harapion: 「第四の壁」のWikiを読むと、演劇の世界で「第四の壁を破る」ことを意識的にやったのは、ブレヒトだという。となると、寺山修司はブレヒトの影響を受けているのか?URLを読むと、寺山も唐十郎も佐藤信も、ブレヒトの異化理論の影響を受けているという。
2013-04-29 22:55:11 via web
@harapion: 今朝の連投1?8で扱った問題は、演劇の世界では「第四の壁」と呼ばれているそうだ。URL
2013-04-29 22:51:44 via web
@harapion: 8.作品を自己完結型の閉じたモノとせず、観客参加型にすること。『テクストの快楽』のロラン・バルトを適用し、文学に置き換えると、前者は作品に、後者はテクストになると思うが、それだけではない。現実に連れ戻し、幻想を棄て「いま、ここ」に生きろ、というメッセージも含まれているのだ。
2013-04-29 07:02:03 via web
@harapion: 7.観客参加型の芸術(映画、演劇……)にしたいという狙いがあると思う。前衛美術作品でも、その種のものがある。オノ・ヨーコとジョン・レノンの出会いは、作品に釘を打ち込んでいいかとジョンが訊いたことから始まっている。ヨーコの作品には釘を打つように書かれてあったのだ。
2013-04-29 06:55:59 via web
@harapion: 6.観客とスクリーンの境界線をなくしてしまう手法は、観客を不安な気持ちにさせる。他人事のフィクションと思われた世界が、現実と一続きになるのだから。観る者と観られるものの境界を無くすモチーフは、寺山修司の実験映画や市街劇でも見られるが、これは何のためなのか。
2013-04-29 06:49:32 via web
@harapion: 5.松永天馬(アーバンギャルド)の小説「死んでれら、灰をかぶれ」(SFマガジン6月号)も、最後、物語が映画のシーンであったことが明かされ、物語の外部が示される点で、『田園に死す』『ホーリー・マウンテン』『幕末太陽傳』『新世紀エヴァンゲリオン』と同型である。
2013-04-29 06:43:43 via web
@harapion: 4.旧劇場版エヴァの、途中で差し挟まれる観客席の光景や、エンディングでの「気持ち悪い」も、『幕末太陽傳』の影響の余波なのかも知れない。自ら造った世界の自己完結性に嫌気がさして、自作アニメから原作あり、実写へと移動する庵野に、体系の外部へ向かう柄谷行人を重ねて理解したりしていたが。
2013-04-29 06:38:19 via web
@harapion: 3.今度は『幕末太陽傳』について調べてみると、庵野秀明のTV版エヴァンゲリオンのラストも『幕末?』を意識して造られたという。そういえば、自己開発セミナーを想わせる主人公らの自問自答のシーンがあって、最後に世界が開いて、相互承認のハッピーエンディングに至る。
2013-04-29 06:28:00 via web
@harapion: 2.裏を取ってみると寺山『田園に死す』のエンディングは、川島雄三『幕末太陽傳』の幻のエンディングに影響を受けているというではないか。『幕末?』も時代劇なのに、映画のセットが外され、スタジオの中から現代の街並みを武士が駆け抜けるという。
2013-04-29 06:21:23 via web
@harapion: 1.寺山修司の映画『田園に死す』の終わりは、突如として家の壁が倒され、新宿の交差点に連れ出される。私はこれを寺山が激賞したホドロフスキーの映画『ホーリー・マウンテン』のせいだと思っていた。『ホーリー?』も「カット」の声と共に映画のセットが壊され、物語の外に連れ出されるからである。
2013-04-29 06:14:07 via web
@harapion: 川島雄三『幕末太陽傳』(未見)、アレハンドロ・ホドロフスキー『ホーリー・マウンテン』、寺山修司『田園に死す』、庵野秀明『新世紀エヴァンゲリオン』、そして松永天馬「死んでれら、灰をかぶれ」。作品の共通項は、観客と作品の境界の排除、虚構性の暴露、現実と虚構の相互嵌入……現実に生きろ!
2013-04-29 01:07:36 via web
@harapion: RT @R_Steiner_jp: 近代の人類が生み出した最も自由な思想家シュティルナー(@Max_Stirner_jp)を想起せずにニーチェ(@N_Anti_Christ)の発展について語ることはできない。ニーチェが要求した超人に完璧に相当するこの思想家が僅かしか知られておら…
2013-04-29 00:37:00 via web