2013年10月17日のツイート
@harapion: (8)ゾンビ戦隊デンジャラスは、毎回、正義のヒーローが登場して、「俺が正義だ」と威張り散らしたり、「施しのパンだ」と善意の押し売りをしたりするのに対し、人々の自由を守るため、悪の勢力を結集して、正義のヒーローを倒していく痛快アクションだが、主題歌はあるが、本編はまだない(笑)
2013-10-17 16:43:46 via web
@harapion: (7)子どもたちがアンパンマンから、愛や善意を感じ取るのはよいが、もしもアンパンマン道徳を内在化・徹底化した大人が現れたら、ゾンビ戦隊デンジャラスとしての私は、危険度MAXと感知するだろう。そして、我々の自由が物質的なものと引き換えに、簒奪されていないか、思考を巡らすだろう。
2013-10-17 16:34:36 via web
@harapion: (6)埴谷雄高によると、悪魔の三つの問いは、パンと奇蹟と権威を意味している。これをキリストが拒絶したのは、パンと奇蹟と権威によって人間の自由を奪いたくなかったからである。埴谷はレーニンの言葉を引用し、パンと奇蹟と権威は、現代ではパンと電化と党だとする。(前掲164頁)
2013-10-17 16:22:56 via web
@harapion: (5)埴谷雄高は『ドストエフスキー』(NHKブックス162頁)で、『カラマーゾフの兄弟』の大審問官に触れ、聖書における悪魔の三つの問いを、キリストが拒絶した事を指摘する。一つ目はこの石をパンに変えてみろ、二つ目は崖の上から飛んでみろ、三つ目は地上の王になれ。
2013-10-17 16:13:04 via web
@harapion: (4)アンパンマンではなく、ゾンビ戦隊デンジャラス(URL)などという邪悪なことを発想してしまう私は、ここでキリストの「人はパンにみにより生きるものにあらず」という言葉を思い出してしまう。
2013-10-17 16:04:51 via web
@harapion: (3)やなせたかしにおいて、「パン」が物質的な享楽や、経済的な下部構造の象徴だったのかはわからない。おそらく、素朴な判断において、まずは飢えた人々にパンを与えよ、という考えが発露したのだろう。善意による愛の発露。
2013-10-17 15:53:55 via web
@harapion: (2)やなせかたしにおいて、戦争による飢餓は限界状況であった。その限界の意識によって、価値転倒が起きている。失墜したのは、戦争や殺戮を肯定するような「正義」であり、代わりに浮上したのは人にパンを与えるような「愛」と「献身」に価値を認める新たな「正義」であった。
2013-10-17 15:45:49 via web
@harapion: (1)やなせたかし先生が「アンパンマン」に込めた哲学がすごすぎる! - NAVER まとめ URL やなせたかしは、戦争による飢えの経験を経て、アンパンマンを着想したようだ。私は、これを読みながら、埴谷雄高とドストエフスキーのことを考えた。
@harapion: ジョン・ケージは、ニューヨークのアパート以外に、ストーニー・ポイントのコミューンで暮らす時があった。このストーニー・ポイントが茸の宝庫で、茸について知れば知るほど、分類や識別が難しく、茸の多様性と複雑さが人間の知識を凌駕することに気づく。(『小鳥たちのために』青土社を参照のこと)
2013-10-17 01:05:17 via web
@harapion: John Cage"Dream" URL 「私は、禅の生活は都市の外にしかないという鈴木大拙の話を、それまでは重視していませんでした。ところが私は茸を通して鈴木大拙を理解することができたのです。」(ジョン・ケージ『小鳥たちのために』190頁)