2014年06月19日のツイート
@harapion: NUMBER GIRL - I don't know: URL
@harapion: NUMBER GIRL - 鉄風 鋭くなって: URL
@harapion: RT @frenesifrenesi: タワーレコード秋葉原店にお邪魔してきました。アーバンの隣にXXX of WONDER! URL
@harapion: RT @aprils_nakama: このビデオの撮影手法、(たぶん)世界初だと思うのです。悪夢感を出すために編み出しました。【 明晰夢マドンナ / xxx of WONDER 】official PV: URL @YouTubeさんから…
@harapion: xxx of WONDER ?「明晰夢マドンナ」をチェック URLURLxであって、×ではない。triple xでもなく、three xでもなく、発音しないので、CDショップでは「お行」で探せ!
@harapion: アーバンギャルド「戦争を知りたい子供たち」の「歴史教科書」の問題。ヒントは「強い物語」では。ジャン=フランソワ・リオタールの言うところの「大きな物語」のような用法。解った。これは三万人の自殺者を生む見えない戦争への戦争を宣言し、武器として自身で物語=観念をつくるという歌だ。
@harapion: アーバンギャルド「戦争を知りたい子供たち」は、難物である。まだ「歴史教科書」の部分の読解が出来ていない。終戦直後みたいな黒塗りの教科書や、書き換えが語られるという事は、歴史修正主義を連想させるが、勿論、ベタな意味で使われているわけではない。
@harapion: アーバンギャルド「戦争を知りたい子供たち」は、まず三万人の自殺者の現実と、それを生み出す見えない「戦争」をおさえた上で、その「戦争」に抗する「戦争」の開始を宣言する歌ではないか。見えない「戦争」とは資本主義の別名であり、「勝手に逃げろ」は、闘争の一形態としての逃走を指すのでは。
@harapion: ドゥルーズ=ガタリの対概念、「戦争機械」と「国家装置」。前者が革命的であり、後者は抑圧的である。とはいえ、「戦争機械」も禍々しさがつきまとう。革命的であるはずが、逆の意味に転化することもある。
@harapion: とはいえ、ナショナリズムの高揚としての戦争を、バタイユでは斬れないという問題点がある。強いて言えば、高揚によって「開く」かと思われた生の発露が、無限の専制という形で「閉じる」のが常であるというべきか。しかし、バタイユは扱いが難しい思想家で、使い方を間違えると怪我の元である。
@harapion: バタイユの言っている「戦争」は、生命を炸裂させることなので(バタイユの考えは、だいたい岡本太郎と同じ)、時として戦争に反対する闘争が、バタイユ的意味での「戦争」になることもあるだろう。逆に、否応なしに戦地に行かされるという戦争は、生を抑圧する制度になる事もある。
@harapion: 以前、「萌えてろよ feat.ぱすぽ☆」の、景気の回復のための恋愛のすすめ、という奇妙な処方箋に、アーバンギャルド流の『資本論』を見た想いになったが、それはバタイユの消費経済学を重ね読みすることによってであった。
@harapion: バタイユは、戦争の本質は、過剰な生命エネルギーの蕩尽にあるとした。消費も、祝祭も、恋愛(エミリ・ブロンテの『嵐が丘』に、バタイユは悪の文学を読み取る)さえも、過剰な力の蕩尽である。重要なことは、これがコードの破壊である事。社会的な規範や制度への叛逆を含意するという事。
@harapion: アーバンギャルド「戦争を知りたい子供たち」の三万人と戦争の意味。「年間の自殺者は、7年連続で3万人を超えている」「「平和」な日本で自らの命を絶つ人は、「戦場」と呼ばれる場所の民間人犠牲者の数をはるかに上回っている。」(雨宮処凛『すごい生き方』(サンクチュアリ出版20頁、22頁)