死後も魂が不滅であることを証明してみせよう

かつて荒俣宏は、『ボーダーランド』というオカルト雑誌を責任編集をしていたことがある。(角川春樹事務所刊行)
時期的にオウムの事件の後で、『ムー』とかもバッシングを受けていた時期だったと思う。これが刊行され始めたときは、さすがに<なにゆえに、小懲りなく…>と思ったものだ。
記事としては、宇宙人に拉致されて、インプラント手術を受けて、記憶を抹消されて地上に返されたとか、宇宙人との間の子供を宿したとか、少々どぎつい内容が多かった。
ただ、1997年2月の小さなコラムだけが目を引いた。
記事は通商産業省工業技術院・生命工学工業技術研究所・人間環境システム部システム設計研究室長の福井幸男博士が、(研究費が公的に出ないので)個人的に魂の重量を測定使用しているというものだ。
・生後5週間目の12匹のマウスを使用
・致死量の麻酔薬を注射
・15グラムの容器に入れ密封
・空気の出入りは、完全にシャットアウト
・電子天秤で、ゼロ・コンマ6桁までの重量を測定
・電子天秤とパソコンをつなぎ、測定値を記録
・実験室は25度にし、一定にする
・空気の流れが電子天秤に触れないようにする
実験結果は、こうだ。
・100秒間の間に、7マイクログラム減少したものがあった
・100〜200秒間に100マイクログラム減少したものがあった
・200マイクログラムの増減を4000秒以上繰り返した事例があった
いったい、これをどう捉える?

原田三夫について

原田三夫といえば、『子供の科学』を創刊した人として有名であるが、名古屋の犬山遊園地で世界初の宇宙博覧会を催し、世界平和のために、日本宇宙旅行協会を設立し、火星の土地権利書を販売した人でもある。
原田三夫は名古屋生まれであり、幼馴染に小酒井不木がいた。その先祖は尾張一ノ宮の真清田神社の神官であり、三夫の十五代前になると犬山の入鹿池の水門を管理する土木奉行を務めるようになり、原田家を興した。平塚らいてうとともに『青鞜』をはじめた歌人原田琴子も、この系統である。
原田三夫札幌農学校に進学するが、ここにはクラーク博士を日本に招くのに尽力した堀誠太郎がいた。この堀誠太郎は後に東京の小石川植物園で西欧野菜を日本に紹介する人物である。
札幌農学校は、原田が入学すると北大に改名するが、ここで原田は、絵画同好会「黒百合会」を設立する。メンバーには、有島武郎、小熊捍が参加。小熊捍は後の北大教授、国立遺伝学研究所所長であり、水産技官であった中沢毅一、北大教授(植物学)の西村真琴とも親交があった人物である。
原田は『子供の科学』の前に、科学知識普及協会発行の『科学知識』を創刊しているが、編集後記で書いたアカデミズムへの批判が原因で協会を去っている。この『科学知識』を後に編集することになるのが、中沢毅一である。
さて、堀誠太郎の息子が中井猛之進であり、孫が中井英夫である。中沢毅一の息子が中沢厚であり、孫が中沢新一である。さらには西村真琴の息子が西村晃である。
主要参考文献:荒俣宏『大東亜科学綺譚』(ちくま文庫