原田三夫について

原田三夫といえば、『子供の科学』を創刊した人として有名であるが、名古屋の犬山遊園地で世界初の宇宙博覧会を催し、世界平和のために、日本宇宙旅行協会を設立し、火星の土地権利書を販売した人でもある。
原田三夫は名古屋生まれであり、幼馴染に小酒井不木がいた。その先祖は尾張一ノ宮の真清田神社の神官であり、三夫の十五代前になると犬山の入鹿池の水門を管理する土木奉行を務めるようになり、原田家を興した。平塚らいてうとともに『青鞜』をはじめた歌人原田琴子も、この系統である。
原田三夫札幌農学校に進学するが、ここにはクラーク博士を日本に招くのに尽力した堀誠太郎がいた。この堀誠太郎は後に東京の小石川植物園で西欧野菜を日本に紹介する人物である。
札幌農学校は、原田が入学すると北大に改名するが、ここで原田は、絵画同好会「黒百合会」を設立する。メンバーには、有島武郎、小熊捍が参加。小熊捍は後の北大教授、国立遺伝学研究所所長であり、水産技官であった中沢毅一、北大教授(植物学)の西村真琴とも親交があった人物である。
原田は『子供の科学』の前に、科学知識普及協会発行の『科学知識』を創刊しているが、編集後記で書いたアカデミズムへの批判が原因で協会を去っている。この『科学知識』を後に編集することになるのが、中沢毅一である。
さて、堀誠太郎の息子が中井猛之進であり、孫が中井英夫である。中沢毅一の息子が中沢厚であり、孫が中沢新一である。さらには西村真琴の息子が西村晃である。
主要参考文献:荒俣宏『大東亜科学綺譚』(ちくま文庫