島田雅彦詩集『自由人の祈り』

島田雅彦の小説は、大変技巧的な作風であり、特に『未確認尾行物体』でのエイズをめぐる物語は、免疫のディコンストラクション(脱構築)を主題とするもので、その極みといえた。ところが、詩集『自由人の祈り』(思潮社)に収められた詩、特に「またあした」という全編ひらがなの詩は、非常に素直に心情が語られており、また異なる素顔をみせている。
「せかいとぼくはたたかっている/きっとせかいがかつだろう/ほくにみかたはいるのだろうか」と書く島田雅彦は、この世界との齟齬の感触を語っている。たぶん、島田雅彦にとって、最近の世界や日本の状況はますます悪くなっているに違いないのだ。
島田雅彦は、自身を「自由人」と規定する。「自由人」で、永遠の青二才だからこそ、見えてくるものがある。次第に自由が制限され、息苦しい世の中になってゆきつつあることに。
小説においては、高度な技巧性がマイナスに働いてしまうことがある。島田雅彦に奔流のような荒々しい文章を期待したり、パワーのあるところを期待することはできない。
しかし、島田の占めるその位置は、大変共感できる。「自由人」でエピキュリアンであること、そこに抵触するあらゆる権力に対峙すること。
ここで、私も島田に返答することにしよう。<せかいときみとのたたかいで、きみがまけたとしても、つぎつぎときみのなかまがたちあがるだろう、ぼくもまたきみのなかまだ>

自由人の祈り―島田雅彦詩集

自由人の祈り―島田雅彦詩集