Coliwiki  http://www.wikihouse.com/coliwiki/index.php に以下の項目を執筆。

以下は、投稿原稿の再録である。なお、著作リストも掲載したが、こちらは割愛する。
・ジャン=ホール・サルトル
ジャン=ポール・サルトル。フランスの哲学者。作家。劇作家。実存主義の思想家として活躍。
ハイデッガーの『存在と時間』の影響を受け、「意識は常になにものかについての意識である」というフッサールの志向性のもとに、『存在と無』を書き、現実参加(アンガージュマン)に力点を置いた実存主義の思想を展開した。人間はもの(即自存在)ではなく、対自存在であり、なにものかに関与することなしに存在しない無であるというのである。
サルトルによると、実存主義とは「実存は本質に先立つ」とする立場であり、人間は自らの責任を伴った選択によって、未来の自分を選び取らねばならないとされる。実存主義の哲学を、無神論実存主義と有神論的実存主義に分類し、自身を前者に規定し、神は存在せず、「人間は自由の刑に処せられている」とした。
サルトルの小説『嘔吐』は、マロニエの木から本質が剥がれ落ち、存在の裸形となったとき、主人公のロカンタンが嘔吐を覚えるというものである。ロカンタンは、この状態からの脱出口をサキソフォンの美しい調べ、すなわち芸術に求める。芸術は、存在しないものを存在させる試みであるからである。
しかし、サルトル自身は、ロカンタンのように芸術への道に進まず、政治的なものへの参加(アンガジェ)を行い、『ヒューマニズムとテロル』を書いたメルロ・ポンティの影響もあって、マルクス主義への接近することになる。
サルトルマルクス主義への接近は、カミュとの論争を引き起こし、さらに『弁証法の冒険』で非マルクス主義左翼に転向したメルロ・ポンティからの弁証法を失ったウルトラ・ボルシェヴィズムとの批判を受ける。
サルトルはメルロ・ポンティの批判を踏まえ、『弁証法的理性批判』を書く。これはマルクス主義を、現代の乗り越え不可能な状況を踏まえた思想として高く評価し、実存主義マルクス主義の中に寄生するイデオロギーとするものである。こうして、プラクシス(実践作用)を重視する主体主義的マルクス主義が登場する。
サルトル実存主義は、レヴィ=ストロースが『野生の思考』で構造主義を展開するまで、現代の代表的イデオローグとして圧倒的な覇権を築いていた。
コリン・ウィルソンは、自身の新実存主義を、楽観主義的な実存主義として規定し、サルトル実存主義悲観主義的と批判する。コリン・ウィルソンは、サルトルの『嘔吐』に、疲労感に満ちた不健全な意識状態に由来すると考える。また、後期サルトルマルクス主義への接近に対しても、マルクスの思想はルサンチマンに基づくものとし、否定的である。
アルベール・カミュ
アルベール・カミュの作品は、以下のように大別できる。
0.初期作品(アルジェリアで過ごした青春期に書かれた生命の讃歌を主題とする作品)…小説『幸福な死』、エッセイ『夏』・『結婚』
I.不条理の系列(人生の不条理を主題とする作品。カミュは不条理を見つめていながら、ぎりぎりのところで超越を図る実存主義的思考を批判し、不条理を直視し、緊張関係のなかで生きることに、生の悦びを見出す。哲学的には、個人的な美徳であるキリスト教の神を否定し、自殺の否定する立場。)…小説『異邦人』、哲学的エッセイ『シーシュポスの神話』、戯曲『カリギュラ』・『誤解』
II.反抗の系列(第二次世界大戦期のレジスタンスの経験から、不条理に対抗するための集団的反抗が重視されるようになり、連帯性の必要性が説かれるようになる。一方、中庸を守った人間中心主義的反抗の立場から、ニヒリスティックで全体主義的なマルクス主義的な革命を批判するに至り、ジャン=ポール・サルトルフランシス・ジャンソンとの論争に発展するようになる。哲学的には、集団的な美徳であるマルクス主義歴史観を否定し、戦争・革命・死刑などの人為的な殺人を正当化する思想を否定する立場。この時期、カミュの脳裏にあったのは、シーシュポスではなく、プロメテウスであった。)…小説『ペスト』、哲学的エッセイ『反抗的人間』、戯曲『戒厳令』・『正義の人々』
III.晩年の作品(均衡のとれた正午の思想=中庸の思想の立場から、ニヒリズムや人為的な死を正当化する思想を批判し、アンドレ・ブルトンサルトルとの論争を行ったカミュは、しばらく沈黙を守るが、再び審判や、幼い時に死別した父をテーマにして書き始めた作品群。対独協力者への粛清に賛成したかつての自分への批判や、自身の正義を疑わないパリの知識人への批判がみられる。この時期、カミュの脳裏にあったのは、ネメシスである。)…『追放と王国』・『転落』・『最初の人間』
こうして、自身の世界の再生を図ろうとしたカミュだったが、交通事故という不条理な死が遅い、その生は突然断ち切られることになる。
笠井潔
笠井潔。作家(ミステリー、伝奇SF)。評論家。コリン・ウィルソンに影響を受けたひとり。
フランス滞在中に書いた『バイバイ、エンジェル』で角川小説賞を受賞し、デビュー。現象学的本質直感を推理方法とする<矢吹駆>シリーズは、今日の新本格派(本格ミステリの第三の波)の先駆的作品となった。一時、コムレ・サーガと呼ばれる伝奇SFを中心に書いていたが、新本格派のブームとともにミステリの分野に舞い戻り、探偵小説研究会および本格ミステリ作家クラブの設立に関与した。
評論家としては、当初黒木龍思という名前で、学生運動のイデオローグとして「情況」「構造」などに寄稿していたが、連合赤軍事件を契機に転向。フランスのヌーヴォー・フィロゾロゾフ(新哲学派)に相当するマルクス葬送派として『テロルの現象学』を上梓した後、ポストモダニズムニュー・アカデミズム)批判を展開、現在はミステリ評論の分野に評論対象をシフトし、新伝綺など若手作家の動向にも目配りを見せている。
・影響を受けた人々 笠井潔荒俣宏の項目
笠井潔コリン・ウィルソンの対談は、笠井潔の評論集『秘儀としての文学〜テクストの現象学へ』(作品社1987.6.10刊行)に「至高体験」として収録されている。笠井潔もまた実存主義的思潮の影響を受けた人物であり、コリン・ウィルソンと同じく殺人やヴァンパイヤーを題材にした小説を発表している。この対談の中で、コリン・ウィルソンは、自身の新実存主義を第三のロマン主義として位置づけている。コリン・ウィルソンは『アウトサイダー』で、日常意識を超えた高揚した意識状態(後にマスローの用語を借りて、至高体験と呼ばれるようになる意識レベル)を経験した思想家や芸術家が、その状態をキープすることができず、日常生活に倦怠を覚え、自殺や破滅をしてしまう事例を多く描いているが、ロマン主義もまた日常意識を超えた高揚した意識状態を目指したが、その多くは悲惨な結末を迎えた。(ここで、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』を読んで、心酔した当時の若者が、厭世的自殺を遂げた事例を思い出してもいいだろう。)第二のロマン主義実存主義であったが、これもまた悲観主義に陥っていた。事物に吐き気を覚えるサルトルの小説『嘔吐』の主人公ロカンタンは、日常を超えるということを知らず、偏狭で不健全な意識状態にある。これに対し、コリン・ウィルソンは健全でオプティミスティツクな第三のロマン主義<新実存主義>を唱えるのである。自身の<新実存主義>に、マスローの心理学による基礎づけを行い、「至高体験」を目指す哲学として定義づけを行おうとするコリン・ウィルソンに対し、笠井潔は集団的な「至高体験」が存在する可能性に言及しようとする。笠井潔の主著『テロルの現象学〜観念批判論序説』(作品社1984.5.10刊行、ちくま学芸文庫1993.7.7刊行)は、マルクス主義弁証法的権力によるテロリズムを批判する試みであり、マルクス主義の党派観念を内部から解体するものとして集合観念を位置づける。集合観念とは、観念を浄化する観念であり、笠井はソ連のクロンシュタット弾圧の際の民衆蜂起を例に挙げ、収容所群島を揺り動かす集団的な「至高体験」としての集合観念であるとする。コリン・ウィルソンは、カール・マルクスは、犯罪者の心性と変わらず、ルサンチマンに由来する憎悪を抱えていたという見解を示し、集団的な「至高体験」の存在可能性については、当初「至高体験」は個人的に到達するものであり、集団的な「至高体験」の存在可能性には否定的であったが、笠井潔の挙げる事例に納得し、その存在可能性を肯定するようになる。なお、党派観念を内部から解体し、浄化する集合観念という考えについて、笠井潔は『ユートピアの冒険』(毎日新聞社<知における冒険7>1990.5.25刊行)で、ユートピア状態が瞬時に終わる線香花火革命論であると揶揄するようになり、『国家民営化論〜「完全自由社会をめざすアナルコ・キャピタリズム』(カッパサイエンス1995.11.25刊行、後に『国家民営化論〜ラディカルな自由社会を構想する』光文社文庫と改題)では、司法や警察も含め全国家機能を民営分割化させようとするアナルコ・キャピタリズムにシフトしている。

博物学幻想文学研究で知られる荒俣宏は、コリン・ウィルソンの『ロイガーの復活』早川文庫(第1・2版は、ダンセイニをもじった団精ニ名義、第3版は荒俣宏名義)を翻訳しており、自身の翻訳したクトゥルー神話集『ラブクラフト恐怖の宇宙史』(角川ホラー文庫)にも『ロイガーの復活』を収録している。また、『サイキック』(梶元靖子訳、三笠書房)や『コリン・ウィルソンの「来世体験」』(梶元靖子訳、三笠書房)の監修・解説を行っている。この監修・解説の仕事がきっかけとなり、コリン・ウィルソン荒俣宏の対談が行われた。その時の記録は、荒俣宏の『神秘学マニア』(集英社文庫)に収録されている。荒俣宏は、『ロイガーの復活』の解説で、コリン・ウィルソンの『夢見る力』に注目し、そこに「想像力の真正な用いかた」が説かれていることを評価し、現実世界へ積極的に働きかける幻想文学というテーゼを引き出している。(早川文庫版159ページ参照)この現実からの逃避ではなく、現実を変えるファンタジーという考え方に基づき、荒俣宏は、『別世界通信』(ちくま文庫)を書くことになる。ここでは、コリン・ウィルソンが『夢見る力』で言及したディヴィッド・リンゼイの『アルクトゥールスへの旅』の解説も見られ、初期・荒俣宏においてコリン・ウィルソンからの影響が大きかったことが伺える。