大阪歴史博物館に行きました。

以下は、その証明。

大阪歴史博物館は、難波宮跡の上に建てられています。難波宮は、前期と後期に分かれ、前期は7世紀中頃に造られたもので、大化改新の難波遷都に伴う孝徳天皇の難波長柄豊碕宮と考えられています。後期は8世紀前半、聖武天皇により造られたものです。
前期難波宮と後期難波宮の中心軸は、重なっています。この理由は、検討の余地があります。(前期の伝承を元に後期がつくられたのか、地相占術によって一致を見たのか?)
大阪歴史博物館の床は、硝子貼りになっており前期難波宮の管理棟の跡を見ることができます。柱の跡だけで管理棟であったと判断できる理由は、建物の中心に他の建造物に見られる柱の跡がなかったからだそうです。
大阪歴史博物館は、NHK大阪放送局の建物と接合していますが、前期難波宮の倉庫群の跡は、NHK大阪放送局の床下に広がっており、今日はその床下も見学することができました。
大阪歴史博物館とNHK大阪放送局の床を見ますと、丸い模様がありますが、これは柱の跡があった場所です。また、その前の広場に、丸型のベンチのようなものが無数にありますが、これも難波宮の柱の跡です。
NHK大阪放送局では、「わかば」のテレフォンカード(安珠撮影による高原若葉役の原田夏希の写真がついています。)を入手いたしました。