本日、ミクシイ内[笠井潔]コミュに書いた原稿

素朴な疑問なんですが、このミクシィ内に、笠井さんはいらっしゃるわけですが、(笠井氏のアドレスは、ここでは割愛) 結構、他の作家の方ですと、自分の名前のついたコミュニティに参加されたりなさっている方が多く見受けられますが、笠井さんはそういうお考えはないのでしょうか。
たぶん、このミクシィに登録されているということは、このコミュニティもご覧になっているのではないかと思うのですが。
やはり、執筆活動が多忙(『吸血鬼の精神分析』も『瀕死の王』も書かないといけませんし、『ミネルヴァの梟は黄昏に飛びたつか?』の続きも書かないといけませんし、『天啓の虚』『無底の王』『黄泉屋敷事件』やミステリーランド用の作品も書かないといけませんし、他にも中断された計画『ノヴァ、ノヴァ』の続きとか、『鏡の国の殺人』とかもありますし、確かに忙しいことは確かです。)だし、ネット遊びをしている暇があったらスキーをしなくちゃ、というわけなんでしょうか。
うーん、『国家民営化論』の論法で行くと、作家は「文の商人」なのですから、たまには読者サービスをしてくれたって!と思うのは、読者の身勝手なんでしょうか。
もうひとつ問題があります。最近、このコミュニティに「笠井潔葬送派」を標榜するアレクセイさんが加わり(私のミクミクでもあります)、東野圭吾さんの『容疑者Xの献身』に関する評論を掲載されました。この中には、笠井さんが深く関与している本格ミステリ作家クラブが、ミステリ業界においていかに機能しているかという評価が含まれており、笠井さんには厳しい評価がなされています。
自身の名前を冠したコミュニティにおいて、このような投稿がなされているにも関わらず、笠井さんは黙ったままなのでしょうか。
プロの評論家でもある笠井さんが、インターネット上で飛び交う議論にいちいちコメントしていては、仕事にならないのかも知れません。しかし、このようなしっかりした論法の評論(しかも長文の)が自身の名前を冠したコミュニティにおいて堂々と載っているにも関わらず、気づかないふりをするのはいかがなものかと思われます。
笠井さんの初期のエッセイ集『象徴としてのフリーウェイ』のあとがきで、「ジョン・ロクストンやアラン・クォーターメンに憧れていたほんの子供の頃から、「ファイター」でありたいと自分のことを考えてきた。」とあり、それを読んだ子供の頃の私は笠井さんにシビレたものです。私が憧れていた笠井さんなら、逃げずにビシッとキメるはずなのですが、どうなんでしょうか。

※うーん、私はなにをやろうとしているんだろう。
たぶん、過激な「交通」なのかも知れない。
「逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ。」
※ちなみに、この投稿はアレクセイさんへの事前の断りなしに、抜き打ちでやりました。
予測不能の動きをする困った人です、私は。
しかも、この後起きることをまったく計算しておりません。(計算すると、冒険的なことはなにもできなくなりますから。)


素朴な疑問なんですが、このミクシィ内に、笠井さんはいらっしゃるわけですが、(笠井氏のアドレスは、ここでは割愛) 結構、他の作家の方ですと、自分の名前のついたコミュニティに参加されたりなさっている方が多く見受けられますが、笠井さんはそういうお考えはないのでしょうか。
たぶん、このミクシィに登録されているということは、このコミュニティもご覧になっているのではないかと思うのですが。
やはり、執筆活動が多忙(『吸血鬼の精神分析』も『瀕死の王』も書かないといけませんし、『ミネルヴァの梟は黄昏に飛びたつか?』の続きも書かないといけませんし、『天啓の虚』『無底の王』『黄泉屋敷事件』やミステリーランド用の作品も書かないといけませんし、他にも中断された計画『ノヴァ、ノヴァ』の続きとか、『鏡の国の殺人』とかもありますし、確かに忙しいことは確かです。)だし、ネット遊びをしている暇があったらスキーをしなくちゃ、というわけなんでしょうか。
うーん、『国家民営化論』の論法で行くと、作家は「文の商人」なのですから、たまには読者サービスをしてくれたって!と思うのは、読者の身勝手なんでしょうか。
もうひとつ問題があります。最近、このコミュニティに「笠井潔葬送派」を標榜するアレクセイさんが加わり(私のミクミクでもあります)、東野圭吾さんの『容疑者Xの献身』に関する評論を掲載されました。この中には、笠井さんが深く関与している本格ミステリ作家クラブが、ミステリ業界においていかに機能しているかという評価が含まれており、笠井さんには厳しい評価がなされています。
自身の名前を冠したコミュニティにおいて、このような投稿がなされているにも関わらず、笠井さんは黙ったままなのでしょうか。
プロの評論家でもある笠井さんが、インターネット上で飛び交う議論にいちいちコメントしていては、仕事にならないのかも知れません。しかし、このようなしっかりした論法の評論(しかも長文の)が自身の名前を冠したコミュニティにおいて堂々と載っているにも関わらず、気づかないふりをするのはいかがなものかと思われます。
笠井さんの初期のエッセイ集『象徴としてのフリーウェイ』のあとがきで、「ジョン・ロクストンやアラン・クォーターメンに憧れていたほんの子供の頃から、「ファイター」でありたいと自分のことを考えてきた。」とあり、それを読んだ子供の頃の私は笠井さんにシビレたものです。私が憧れていた笠井さんなら、逃げずにビシッとキメるはずなのですが、どうなんでしょうか。

※うーん、私はなにをやろうとしているんだろう。
たぶん、過激な「交通」なのかも知れない。
「逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ。」
※ちなみに、この投稿はアレクセイさんへの事前の断りなしに、抜き打ちでやりました。
予測不能の動きをする困った人です、私は。
しかも、この後起きることをまったく計算しておりません。(計算すると、冒険的なことはなにもできなくなりますから。)