笠井潔 ヴァンパイヤー・ハウス/ディープ・インパクト

ミクシィ内に、笠井潔関連の新規のコミュニティをふたつ作りました。

笠井潔 ヴァンパイヤー・ハウス(情報交換用)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=738252

笠井潔 ディープ・インパクト(議論用)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=738298

ミクシィ内に、すでに笠井潔というコミュニティがあったのですが、笠井潔に批判的な意見を投稿した人があり(ちなみに、このコミュニティのトップページには、批判的な意見も歓迎するという意味の文言がありました。)、それに対して笠井潔肯定派が理性的な反論をすればよかったものの、反論する能力がないものですから、そのコミュニティ管理者は、投稿者および投稿者の除名に反対した人々を、根拠もなく全員同一人物と看做し、強制的にトピックスを削除し、強制的に除名することを繰り返すに至りました。削除されたトピックスのなかには、私の立てた笠井潔の新刊案内(『サイキック戦争』)も含まれていました。つまり、笠井ファンにとって当然必要な情報までも、無断削除する暴挙に至ったわけです。
つまり、コミュニティ管理者自らが、Wハンドルを使って(そのことは本人自らが自供しました。ShinRaiという管理人は、ご来光という儒教の実践者と同一人物だと、確信犯的に自供したのです。)、笠井潔というコミュニティを荒らすに至ったわけです。
投稿者の除名に反対した人々のひとりである私は、機能不全を起こした笠井潔というコミュニティの代わりのコミュニティをつくることにしました。それが、この二つなのです。
ふたつに分断したのは、このようなトラブルを回避する狙いがあります。

そして、笠井潔 ディープ・インパクト(議論用) に次のような書き込みをしました。

「少しフランス現代思想史の話をいたします。
サルトルは、晩年『弁証法的理性批判』によって、自身の実存主義マルクス主義の中に寄生するひとつのイデオロギーであると規定しようとし、実存主義によって動脈硬化を起こしたマルクス主義を主体主義的に作り変えようとしました。
そして、さらに晩年になると、ますます過激になり、毛(マオ)派の学生に接近し、『人民の大義』とか『赤色救援』といった新聞に世界的知名度のある自分の名前を貸して、反体制的な活動をしました。
そのあと登場したのが、文化人類学者のレヴィ=ストロースが唱える構造主義で、彼の場合、それまで機能主義的社会学からうまく説明し尽くせなかった未開民族のトーテミズムに対して、言語学ソシュールの関係論的な見方を導入し、トーテム間の関係を析出することで、かなり科学的な説得力ある説明をしてみせました。
このレヴィ=ストロースが『野生の思考』で、『弁証法的理性批判』に見られるサルトル歴史観を批判すると、時代の思潮は、実存主義から構造主義が優勢なように流れが変わりました。
構造主義は、一枚板ではなく、他にも哲学・歴史学フーコーであるとか(『オイディプス症候群』の作中人物のモデル)、精神分析ラカン(『吸血鬼の精神分析』の作中人物のモデル)とか、マルクス主義アルチュセールとか、文芸批評・記号学ロラン・バルトとかがいるのですが、初期の構造主義には、共通項があって、それは人間中心主義の脱却と、反歴史主義ということなのです。
これは柄谷行人が指摘したことなんですが、実存主義から構造主義に飛び移った人には、ふたつのタイプがあって、ひとつはより科学的で厳密な学を求める左翼的陣営の人、もうひとつは歴史を変えたくない右翼的陣営の人です。
構造主義ですと、人間のプラクシス(実践作用)で、簡単に歴史を改変することはできない、むしろ構造によって人間の考えの方が規定されているということになり、歴史を変えたくない保守的な人には都合がいいわけです。
その後、フーコードゥルーズ=ガタリといった人は、再び構造変動論を作り上げ、歴史に関わる異議を復活させようとし、ポスト構造主義と呼ばれるようになったわけですが。
ここで問題なのは、笠井さんや戸田徹さんらの唱えたマルクス葬送が、誤読によって、彼らと全く違う考えの人にありがたく受け取られた可能性があるということです。笠井さんや戸田徹さんらの考えは、左翼的陣営の考えなんですね。スターリン主義批判から突き進んで、連合赤軍事件で、最終的にマルクス主義自体を葬送している。ところが、笠井さんや戸田徹さんらの唱えたマルクス葬送は、笠井さんや戸田徹さんら敵の右翼的勢力に喜ばれて受容されている可能性があるのではないか。
具体的には、儒教的道徳を実践し、靈氣とか言霊を重視した神道に傾いた精神的求道を行い、三島由紀夫の右翼的浪漫主義に傾倒し、政治的には憲法9条改憲勢力にコミットするような軍事主義的勢力に好まれているのではないか、ということです。このような勢力は、笠井さんや戸田徹さんらの反共の部分に感心しているだけで、笠井さんや戸田徹さんらの反スターリン主義的な権力批判の思想は、完全に読み落としており、なにか支障が出ると、権力主義的な地金が出て、やれ粛清だ、除名だ、言論を弾圧してやれ、ということになる。
私としては、彼らの主張が生まれた権力批判の部分を拡大し、収容所群島を生み出すようなマルクス主義を斬る一方で、保守的な権力制度をも斬る方向に持ってゆく必要があるのではないかと思います。サルトルは、マルクス主義は現代の乗り越え不可能な哲学であり、なぜならマルクス主義を生み出した状況を克服できないからだ、と発言したことがありますが、テロルを正当化する思想を葬送する一方で、マルクス主義を生み出した状況(それは<帝国>であり、人命よりも利潤を優先させるような資本でもあるのですが)をも批判することが必要なのではないか、と思うのです。 」