民族の壁という免疫機構を脱構築せよ

初出: http://mixi.jp/view_diary.pl?id=749818306&owner_id=491648

要するに、自民族/他民族の境界線が、問題なのだ。
境界線を1歩でも外に出る。すると、自民族中心主義者たちにとっては、恐るべきカオスになる。
虐殺はそこから始まる。
自民族ではないから、それは異人であり、外部の人である。
そして、恐るべき暴力が発現する。
問題は、異なるものを異なるままに、許容するということがないことなのだ。
無理やり、同一化を迫り、拒否すれば生命すら奪う。
これは、歴史の初めから、あらゆる民族において見られる病理である。
この残虐性を、野獣のようだと形容するとしたら、まったくの間違いだ。
野生の生き物は、攻撃性を発動する際でも、ブレーキが効く様になっている。
際限のないジェノサイドに至るのは、本能の壊れた人間に特有の病理である。

この認識は、最近のチベットへの武力弾圧の問題についてもいえることだ。
しかしながら、ここに大きな矛盾がある。
中国によるチベット弾圧に反対する勢力には、政治的なタカ派が含まれていて、恐怖に焚きつけて、国境という免疫機構の強化に向かおうとしている。
チベットの次は台湾だ(然り、然り)。台湾の次は日本だ(本気でそんなことを言っているのか?)
その背景にあるのは、相も変わらず赤化への恐怖である。
しかし、赤いコミュニストも、黒いファシストも、ベクトルの方向性が違うだけで、国境という免疫機構を強化し、ほとんど鎧のようにして、他者を排除しようとする思考であることに変わりない。
こんなものは、赤かろうと黒かろうと、ダメだ。ぜんぜん、話にならないと思う。
恐るべきことに、今回中国が地上から抹殺しようとしているチベットの文化には、こうした自民族/他民族、コスモス/カオス、内/外の二項対立を解体する思考が含まれているのであり、そうした人類の未来を切り開くかも知れない思考を根絶やしにしようとしているという事実である。
さらにいえば、『毛沢東語録』の思考の根底の根底、マルクスの思考のうちには、国境という免疫機構を強化しようとする自称コミュニストとは決定的に異なる自民族/他民族、コスモス/カオス、内/外の二項対立を解体する思考の萌芽が含まれているのだが、それは地上に跋扈する新旧の左翼にはめったに見出せない思考なのだ。そこに到達するためには、スターリン主義批判だけでなく、他の党派を殲滅=殺戮することに正義を遂行するエクスタシーをかんじる回路を切断する必要がある。その回路を切断することがなければ、思考体系の外に出ることができず、殺人という絶対悪さえもが正義と認識されるのだ。
しかしながら、このありえないユートピアを地上に具現化してしまおうという奇蹟的な憲法があって、それは日本国憲法第9条と呼ばれている。