中川翔子著 『脳子の恋<完全版>』

 中川翔子著(原作:井口昇)『脳子の恋<完全版>』(太田出版)は、長編サイコ・ホラー漫画である。

脳子の恋<完全版> (本人本 8)

脳子の恋<完全版> (本人本 8)


 主人公・島津典子の家庭は崩壊しており、借金と愛人の問題で、両親は離婚、典子は、この母親と兄と暮らしているが、母親は生活のストレスのはけ口のために、兄は司法試験に何度も落ち、ニート同然の暮らしをしているがゆえに、典子に陰惨ないじめを行っている。さらには、学校でも、冷徹なライバルがおり……典子は、かんじがらめの生活を行っている。このまま行けば、典子は生きる気力を失い、死に至るであろう。そんなときに現れたのが、典子にしか見えないヨーカーとドーカーとイトーという奇怪な友だちであった。
 この設定は、タブルバインド(二重拘束)的な出口のない状況から、妄想型のスキゾフレニーを引き起こしたと見ることができる。この3人の異形の化け物は、典子の内なる生きようとする意志が、過酷な状況に直面して、緊急避難的に生み出した架空の存在なのだと見ることができる。
 ヨーカーとドーカーとイトーは、典子に対して、いじめという外的要素は変わらないが、苦痛を快楽として受け取るように、人格の改変を施す。この改変により、典子の不条理に虐げられた毎日が、悦楽の園に変わる。
 たとえば、養老孟司先生は、脳化社会ということを言っていて、わたしたちが住むこの社会は、脳のなかにある世界を外化したものであり、わたしたちは脳のなかに生きていると考える。典子の世界もまた、脳のなかの世界といえる。
 現実としての現在時の地獄があったとしても、脳内でドーパミンのような物質が生成され、A10神経に伝わるならば、認識としては悦楽の園として感受されるというということはありえるのではないか。また、一旦、苦痛が快楽であると条件づけられ、プログラミングされたならば、パブロフの犬のように、いつも同じ現象が起きるのではないか。
 さらに言えば、典子の世界において、架空の化け物を生成させた正体とは、リチャード・ドーキンスを適用するならば、生き残りを第一とする遺伝子が成せるわざではないか。
 物語は、幻影の世界に没入しただけでは終わらない。それはほんの幕開けに過ぎなかった。典子の前に、やはり心にトラウマを持った、しかし心の優しい青年が現れ、幻影の世界から連れ出そうとする。異形の友だちか、この青年かの二者選択を迫られ、典子が、現実世界の青年との恋を選ぶとき、さらなる恐ろしい試練が待ち構えていたのだ。
 本書は、台本を井口昇が書いているとはいえ、楳図かずおを敬愛するしょこたんならではの表現過剰な描き方により、メタフィジカルなまでに高まる究極の愛憎劇を、鮮烈に読者の脳裏に焼きつける。もはや、リチャード・ドーキンスどころではない。遺伝子の生き残りなどという吝な損得勘定を越えた人間の愛と自由を賭けた闘いのドラマが、ここに現出するのだ。これを評価せずして、何を評価する。単なる楳図かずおのコピーならば、幾多の追随者がいるだろう。しかし、本書には単なるコピーではない、過剰ともいえる強烈なスピリットの炸裂がある。それによって、登場する人物の思念が、かたちとなって空間に焼きつくのだ。
 
 参考までに、これまでに単行本化されている中川翔子による短編漫画作品を挙げておくことにする。
しょこたん♥クエスト」(『しょこ☆まにゅ』学研、2006年12月刊行に収録)
「デス料理の歴史」「ミオルとデンジマスク」「2006年クリスマスイブ事件」「デスボール事件」「小明♥彩華♥きゃんち」「しょうこギガントモス」「ひとりホルモン」「セミと私」「亀紛争♥」「まつげ切られ事件」「歌舞伎町ちかん事件」「はうこ事件」(以上『しょこたん♥ぶろぐ 貪欲デイズ』角川ザテレビジョン、2008年1月刊行に収録)
「カワユス野球マミトシちゃん」「スイス激闘編」「先日みた悪夢」「黒歴史たん」「恋活ゆうえんちレポ!!」「しんかい6500激闘編」「マミトシ創聖日記」「まんざら!上山さんとの出会い」(以上『しょこたん♥ぶろぐ 超貪欲デイズ』角川マーケティング、2010年1月刊行に収録)
アニメ化作品としてはDVD『スカシカシパンマン・ザ・ムービー』(Sony Music Records Ink.)がある。