2013年08月27日のツイート
@harapion: RT @Yutaka_Tsuchiya: 『タリウム少女の毒殺日記』★名古屋シネマテークでも絶賛公開中!URL★神戸アートビレッジセンターでも絶賛公開中!URL
2013-08-27 09:52:32 via web
@harapion: RT @yukakuramoti: 『タリウム少女の毒殺日記』では母親にタリウムを投与する猟奇的な少女を演じています。尻職人じゃない倉持由香もぜひ観てくださいねヾ(o゚ω゚o)ノ゙ URL
2013-08-27 09:52:22 via web
@harapion: (9)「タリウム少女の毒殺日記」について。フーコーの晩年の「生存の美学」(彼はゲイとして生き、エイズで死んだ)にあたるものが、本作では身体改造アーティストTakahashiの存在なのだろう。問題解決のために、過去ではなく、未来に進めること。美学と一体化した自由の倫理を描く事。
2013-08-27 07:10:04 via web
@harapion: (8)「タリウム少女の毒殺日記」について。監視社会からの脱出には、困難がつきまとう。東浩紀「情報自由論」は、現在の監視システムを射程に収めた画期的論考だが、外部を明示できていない。フーコー『監獄の誕生』は監視社会の原理を明らかにしたが、外を暗示するのは後年の「生存の美学」だろう。
2013-08-27 06:59:50 via web
@harapion: (7)「タリウム少女の毒殺日記」について。亜明日クン(川崎流空)という少年を監視システムから解き放った後、タリウム少女(倉持由香)は少年に馬乗りになるのだが、旧劇場版エヴァンゲンオンのラストのアスカとシンジを連想させる。あの場合アスカは、独我論の外部である他者の役割だった。
2013-08-27 06:29:28 via web
@harapion: (6)「タリウム少女の毒殺日記」について。少女には、受動的に観察される側ではなく、能動的に観察する側へという方向性がある。更に(セキュリティー強化のため監視カメラとコンピュータと通信システムで自由が奪われるなかで)監視を断ち切るという意志がある。最後に他者の発見に至る過程がある。
2013-08-27 06:19:07 via web
@harapion: (5)「タリウム少女の毒殺日記」について。本作に出てくるタリウム少女は、2005年に発覚した実在のタリウム少女と同一ではない。身体改造アーティスト(ピアッシング、インプランティング)のTakahashiは、架空のタリウム少女に、外部への突破口を示唆する存在として本作に登場する。
2013-08-27 00:42:13 via web
@harapion: (4)「タリウム少女の毒殺日記」について。物質と情報だけという世界観は、今後ますます優勢になる。人間の精神も遺伝子や脳内物質で説明づけられるのだ。タリウム少女は、尖端科学者のような医療の発展等の目的意識は希薄だが、時代の世界観を共有しているので、今後同型の犯罪の増加の余地がある。
2013-08-27 00:13:03 via web