書評 ゲーテ著『ファウスト〈第二部〉』

ファウスト〈第二部〉 (岩波文庫)

ファウスト〈第二部〉 (岩波文庫)

初出、[mixi(ミクシィ)]レビューより
ファウストとは、ゲーテが考えた近代の理想的人間像であった。
グレートヘンとの恋愛が描かれた第一部から、一気に大世間に舞台は拡大する。これはファウスト的衝動の発展を示している。
まず、ファウストは、美の化身ヘレーネをギリシャ神話の世界から現実世界に出現させ、さらには科学のよる人造人間ホムンクルスを出現させる。しかし、この美と調和の追究は、イカロスの失墜のようにホムンクルスがなってしまうことで破綻する。
しかし、芸術と科学で挫折したファウストは、やがて立ち直り、今度は政治の世界に進む。つまり、挫折と同時に、さらに高次の価値レベルの存在を予感し発展してゆくのが、ファウスト的人間なのである。だが、この政治の世界で彼が引き起こしたものとは……。
実は魔道士ファウストの話は、ゲーテ以前からあった。最終的にファウストの試みは、失敗し、神から罰を受けるというのが、ゲーテ以前にあった物語のパターンであった。しかし、ファウストを理想として描いてきたゲーテは、最終局面において、重大な変更を加えるのである。
ゲーテのメルヘンについて、後にルドルフ・シュタイナーは、そこに薔薇十字思想が隠されていることを指摘している。
人間の中に無限の可能性を見出し、学問のように人間を外から捉えるのではなく、人間の内部、それも魂の根底から外に向かって延びてゆくものとして捉えること。『ファウスト』にも、秘教的な考え方が深く根付いているのだ。
しかし、近代において理想的であったファウスト的人間は、トーマス・マンの『ファウスト博士』によって再び懐疑的に捉えられるようになる。それはファシズムとの関連であった。
私たちは、ゲーテの考えた人間の無限の可能性を信じるとともに、トーマス・マンの『ファウスト博士』が描いたファシズムニヒリズムの問題、さらには最晩年の手塚治虫が『ネオ・ファウスト』で描いた遺伝子操作などの科学のダークサイドの問題などについても真摯に考えてゆかねばならない。それなくして、ファウスト的人間を現代に甦らせることは出来ないのである。