天啓の涛 (うねり)II

以下は、ミクシィに発表された笠井潔に対する『天啓の宴(うたげ)』、『天啓の器(うつわ)』のレビューです。
このレビューは、小説形式を採用しており、HP「薔薇十字制作室」で公開している小説『天啓の骸(むくろ)』の全面改稿版となっています。

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ジベールの手記から
11月2日 <赤い生>の会合に、ルナール姐さんの姿はなかった。
大掛かりなデモを直前にひかえ、連日重要な打ち合わせを行っていたのだが…風邪でもひいたのだろうか。こんなことはなかったのに。
気がかりで、電話を掛けてみる。しかし、電話はつながらない。
万が一のために、ルナール姐さんから知らされたルナールのアパルトマンの管理室に電話をする。なにか伝言でも預かっているかもしれない。
しかし、管理人に電話したところ、ルナールが本日外出した形跡はないという。
それにしては、電話に出ないのはなぜなのか。
念のため、帰りに同じ<赤い生>に所属するアルベールと連れ立って、ルナールの自宅を訪ねることにする。
ルナールのアパルトマンは、パリ郊外の湖畔の見える閑静な住宅街にあり、木造の3階建てだった。
ルナールの部屋は、3階の306号室であった。3階は廊下を隔てて、偶数の部屋と奇数の部屋が3つづつ並んでいるのだが、ルナールの部屋は一番奥の部屋であった。
予想通り、ルナールの部屋は鍵がかかっており、大きな声で呼んでも応える気配がない。
事情を話し、管理人のお婆さんにマスターキーで部屋を開けてもらう。
しかし、ドアは依然開かない。
そういえば、ルナール姐さんは、最近鍵を余分に付けたといっていた。
仕方なく、アルベールに頼んで、ドアに体当たりしてもらう。アルベールは剛健で、肩幅も広く、こういうことには適任だった。
ドアを内側から止めていたもうひとつの鍵が、衝撃で弾けとんだ。
やはり、ルナールは鍵をもうひとつ余分に内側からつけていた。
部屋の中を覗き込む。
いすの陰に、足が見えた。
誰かが倒れている。
思わず駆け寄ると、それはルナールの無残な姿であった。
右手には小銃が握り締められており、右側の頭から左側に弾丸が貫通している。
ルナールの左側にあった窓のカーテンには血しぶきがかかっている。
管理人は「ひぃ」と小さく叫んだ後で、その場に倒れこんでしまった。
ルナールの右手には、わずかだが血の飛沫がついていた。
思わずルナールの身体に触れようとしたとき、アルベールが制止した。
アルベールは現場は保全につとめ、直ちに警察を呼ぶといい、といった。
あたふたしている私とは別に、アルベールは冷静沈着だった。
アルベールは管理人に、警察に連絡を頼むとともに、私と二人になると「さてと…」と腕まくりをして、腕を組むと、「この部屋には問題が山積しているな。」といった。
「現場にあるものには触れないように、警察が来るまでの間、ひとつひとつ検証しよう。まず、入り口のドアなんだが、まずこの部屋が出来たときからあったドアノブについてだが、これは外からも中からもかかる錠になっている。外からはキーか、マスターキーを使って鍵がかかるし、中からはキーなしでつまみをひねるだけで鍵がかかるようになっている。しかし、中からの鍵は、キーか、マスターキーがあれば、外から開錠できる。そして、君も確認したように、この鍵はかかっていた。」
アルベールは、確かめるように私の眼をみると、さらに続けた。
「そして、このドアノブの鍵とはべつに、後から取り付けられた鍵があり、これは内側から掛ける様になっており、外から鍵があることも見えないし、またこうして押し破らない限り、開錠できないようになっている。」
「そして、窓についてだが、この部屋は3LDKで、ベランダに出るための窓がついている。これらは内側に鍵がついており、もちろん外から鍵を掛けることはできない。そして、見たところ、現在、どの窓も内側から鍵が掛けられている。しかも、ベランダから、隣の部屋のベランダへ飛び移るのは、かなり離れており、常識的に考えて無理がある。また、ここは3階であり、いきなり下に飛び降りるのは危険すぎる。窓の側には飛び移れるような樹すらない。」
「この部屋の外に出る出口は、以上だ。それらはすべて内側から鍵が掛けられている。つまり…。」
「つまり…なんだね。」私は次の言葉が聞きたかった。
「常識的に考えて、これは自殺とみるのが正しい。しかし、僕たちは彼女の自殺の動機などまったく思いつかない。」
アルベールは天井を見上げた。
そして、私もルナール姐さんが自殺する動機なんて、想像もつかなかった。
「自殺の理由が思いつかないだけに、もう少し、他殺説について考えてみよう。僕たちが入ってくるときに、他に人影はなかったよね。僕とジベールと管理人さんだけだ。例えば、僕がドアを押し破る際に、ドアの影に犯人が立っており、僕たちが死体に眼が釘付けになっている間に、堂々と玄関から出て行ったという可能性はどうだろう。」
「そんなことは有り得ないよ。ドアを押し破ったとたんに、暗かったから、蛍光灯のスイッチを探したんだけど、そのときドアの影も見たもの」とジベールはかぶりをふる。
「可能性が低いことも、すべて潰しておく必要がある。後で、このことは重要になるかも知れないから。ドアの物陰にというのは、推理小説の古典にある方法なんだよ。リスクは高いが、簡単にできる。もうひとつ、機械的トリックについて、考えてみよう。犯人が外からドアや窓の鍵をかけることができるかどうかだ。玄関のドアについては、初めからついている鍵は、犯人が以前から計画を立てていれば、鍵穴から型をとるなり、ルナールの鍵を一旦失敬して、合鍵をつくり、あとで元の鍵を戻しておくことも可能だ。また、こうして鍵穴を覗いてみると…どうやら、それほど複雑なものではなく、空き巣の常習犯ならば、針金でなんとかできなくはない。やっかいなのは、あとから付けられた鍵だ。これは、内側からつけられており、鍵の掛け方も、単にひねるだけだ。しかし、外から操作できるものではない。仮に、こ
の後からつけられた内側の鍵に糸かピアノ線をくくりつけたとしても、このドアはぴったりとして隙間がないから、外から操作するのは無理だ。次に窓を見てみよう。」
アルベールは窓に近づいた。
「窓の鍵も、内側からひねるかたちになっている。窓枠は、サッシだし、頑丈で、隙間もない。こちらも、外から糸などで操作する手は難しいといわざるをえない。」
アルベールは、ポケットからハンカチを取り出すと、指紋がつかないようにして、窓を開けた。
「うーん、このベランダは相当老朽化しているねぇ。」
鉄網で出来たベランダの床は、さびが進んでおり、もせていた。気をつけながら、外に出たが、見下ろすと思いのほか、ここは高く、飛び降りるのは不可能であった。また、隣のベランダとの間には、コンクリートの柱があり、配水管が中を走っていると思われた。隣のベランダとは、距離がある上に、この柱のせいで、仮にロープを繋いでも移ることは無理だった。
「仮に出たとしても、この部屋からの脱出は無理だ。」
アルベールは、再びハンカチを使い、慎重に窓を閉めた。
「後は、人が入れそうなところだ。」
アルベールは、たんすの中、キッチンの下、冷蔵庫の中、押入れの中などに、いまなお犯人が潜んでいる可能性を挙げた。
そんなはずはないとは思ったが、開ける段になると、心臓が波打った。
自殺でないとしたら、他殺であり、ここは密室で、外に出ることができないとしたら、犯人は息を潜めて隠れている可能性がある。
アルベールの考えは、合理的で、私もその考えに傾きつつあった。
「ちょっと、待って。気になることがあるから。」私は、柱にかかった振り子時計の振り子部分の硝子の扉を開き、その中に手を伸ばした。
「あった。」私は小さくつぶやいた。私の手には、鍵があった。
私はルナールの机の一番上の引き出しを、その鍵を使って開けた。引き出しには、別の鍵が入っていた。
今度は、柱時計の下の壁を触った。壁は木製の板で敷き詰められており、そのうちひとつをスライドさせると、板が外れた。
板の下に、小型の金庫が現れた。
金庫の鍵穴に、机の中の鍵を差し込み、ダイアルを暗証番号どおりに廻すと、扉を開いた。
「ない。」なんということだ。ここにあれがないということは。
「どうしたんだい。お金かい。」アルベールが聞いてきた。私はかぶりをふった。
私は、ひどく狼狽していた。あれがないということは、ここに誰かが忍び込んだのだ。
そして、ルナールの死は、自殺では有り得ない。
私の中で、疑いは確信に変わった。
ルナールは、間違いなく殺されたのだ。
放心している私に、アルベールはまもなく警察が来るから、金庫の鍵をもとに戻そうといった。
アルベールは、鍵についた私の指紋をぬぐいながら、元に戻した。
「ルナールの指紋も消すことで不自然になるかもしれないが、君が疑われるのは避けたいからな。このことは警察には知らぬ存ぜぬで通そう。」
私は、金庫にあれがないならば、警察が金庫に気づいても問題はないだろうと考えていた。
私は、あれがあるのならば、警察が発見する前に隠そうと思ったのだ。
アルベールは、たんすの取っ手などに、犯人の指紋がついている可能性を指摘し、ここは警察に任せようといった。
私は犯人が飛び出してきて、襲い掛かってくる可能性を思い、びくびくしながら、警察を待った。
まもなく、管理人が警察を引き連れて、3階まで上がってくる足音がした。

「ガイシャの死亡推定時刻は、11月1日の20:00から20:30ごろでしょうな。」と監察医ラフォルグは語る。
「間違いないだろうな。」マサール警視は、可能性のひとつひとつをすべて潰してゆくタイプであった。
「間違いはないでしょうよ。30年以上になる経験が、その真実を告げているんでさぁ。この室温と、ガイシャの硬直状態から、21時間から20.5時間の経過が読み取れるんでさぁ。無論、さらに詳細なデータは、胃の内容物などを見
てみないことには。で、警視にお願いしたいのは、ガイシャの最後の食事の時間でして。」
監察医ラフォルグは、死体解剖を趣味としているだけあって、かなり嬉しそうだ。
そのとき、キャレ警部が、マサール警視の耳元に告げた。
マサール警視は、管理人の方を向いた。
「ルナールさんが1階を通り過ぎたのが、20:10頃だというんだね。」
管理人は、このアパルトマンの101号室に居住しており、17時まで管理室にいるが、それ以降は101号室にいると
いう。ルナールが1階を通り過ぎる際に、管理室に置き忘れた新聞を取りに行く際に、たまたま後ろ姿を見かけたという。つまり、管理人は、ルナールが帰宅した前後の人の出入りは、管理室でチェックしていない。
「つまり、ルナールは帰宅直後に、拳銃の引き金を引いたことになる。ルナールの死亡推定時刻は、11月1日の20:10から20:30ということになる。」
マサール警視は、この306号室のドアの鍵について調べた。
管理人によると、ドアノブの鍵は、もともと着いていた鍵であり、ドアノブの下の内側からつけられた鍵は部屋の借用者のルナールが付けたものだという。
マサール警視が見たところ、ドアノブと一体化した鍵は、旧式のもので、熟練した人間ならば、外から道具を使えば、開閉が可能なように思われた。鍵穴から覗くと、中のカットはそれほど複雑ではなく、鍵師ならば専用の金属にやすりでカットを入れて、鍵の代用品を作るだろうし、針金を上手に曲げて、カットに当たるようにすれば、中の仕掛けを解除したり、鍵がかかるようにすることは可能なように思われた。
問題は、ルナールが後からつけた鍵の方である。仮に、この事件が他殺とするならば、犯人が中にいないと実行できないタイプのものである。そして、犯人がこの玄関から出たとするならば、あらかじめルナールのつけた鍵のほうに、糸をくくりつけたピンセットかなにかをつけておき、外からその糸を引っ張るということが考えられるが、このドアには隙間がほとんどなく、ピンセットはおろか、糸で外から操作すること自体が無理に思われた。
その間にも、キャレ警部とその配下の部下たちは、ルナールの部屋の中の人が隠れる余地をひとつづつ潰していった。マサール警視は、この事件は十中八九、自殺と看做すのが普通であるが、多少であれ、他殺の可能性があれば、すべての可能性を潰す必要があるとのことだった。キャレ警部とその配下の部下は、いつ何時犯人が出てくる可
能性がないとも言い切れず、拳銃を手に身構えながら、洋服ダンスの中や、キッチンの足元の開き戸、ベッドの下、クローゼットの中などを開けてみたが、犯人の影は見当たらなかった。」
キャレ警部の部下は、物入の天井に、四角い枠があるのを見つけた。これは、電気の配線工事のためのもので、工事の際に天井に上がるためのものだった。部下が枠の中の板を動かすと、相当な埃が舞い降りて来た。
キャレ警部は「現場に埃を撒き散らすな。埃が舞い立つということは、最近誰もその板を動かしていない証拠だ。」と部下を叱りとばした。
キャレ警部自身は、台所の上にある排気口が気になっていた。コンロの上にあり、鉄板料理をしたときなどの煙を逃がす穴である。この排気口には、鉄の網がかけられていたが、その網は油で汚れているものの、はずすことができることがわかった。排気口は、蛇行して、天井に上がり、建物の外に出るようになっていた。外の出口にも、鉄の柵がついており、窓の外から確認すると、その取り外しには、工具が必要であることがわかった。
ただ、その排気口を大人が通過するのは、無理なように思われた。
キャレ警部は、ミステリーの愛読者であったから、意外な犯人の可能性はないか、検討し始めた。
<仮に、ルナールの死亡が他殺であるとすると、あらかじめ昏睡状態にしておき、右手に拳銃を握らせ、ルナールの指を使って、拳銃を発射する必要がある。仮に第三者がルナールを射殺したあとで、ルナールの右手に拳銃を握らせるとしたら、ルナールの右手に、返り血と思われる血の飛沫が付くことはありえない。とすれば、犯人の行動は、かなり高度なものであり、芸当を仕込まれたサルや、大人に入れ知恵された子供にも、無理と考えられる。>
<では、犯人ではなく、ドアを閉じるトリックに使った道具を使ったとしたらどうなのか。>キャレ警部は自問した。
ルナールの部屋の玄関から、犯人が出たとするならば、後からルナールがつけた鍵を閉じるトリックの説明が困難という問題が残る。それは、後からつけた鍵に、ピンセットのような金具をつけて、糸状のものでドアの外から引っ張るにせよ、隙間がほとんどなく、困難ということであった。だが、この糸のルートを排気口を通すとしたらどうなのか、ということである。まず、蛇行して外に出ている排気口に糸を通す方法が問題になる。なぜなら、この狭い排気口を犯人が通過することは不可能だからである。これは、糸の先に黄金虫をくくりつけて、放してやれば、戸外まで糸をつけたまま羽ばたいてゆくから、その方法か、それに似た方法でクリアできるだろう。もうひとつの問題は、排気口の入り口の鉄の網である。この鉄の網は、おそらく外から蚊や蝿が入ってくるのを防ぐために取り付けられていると思われた。
戸外に出ている排気口の出口についている鉄の柵は、荒くて問題がないが、入り口の方は、相当細かかった。後からつけた鍵にピンセットのような金具をつける仮説を述べたが、鍵のサイズからして、仮にピンセットでなくとも、金具の最低限のサイズは予想できる。しかし、最低限のサイズであれ、この入り口の鉄の網を通過することは不可能だろう。無論、鉄の網を外せば可能になるが、犯人が外に出た後で、鉄の網を再度取り付けることは無理である。
マサール警視は、事件発見者であるアルベールと私(ジベール)を管理人室に待たせていたが、やがてひとりづつにしては、尋問をした。ひとりづつというのは、ふたりの証言に食い違いがないかどうか、またふたりの間に隠し事があった場合、それを回避するためだとマサール警視は語った。
マサール警視は、私に事件発見の経緯と、ルナールが11月1日に大学を出た時刻を聞いた。私の証言内容は、アルベールの証言と一致していると、後でマサール警視は語ってくれた。また、20:10ごろ帰宅したという管理人の証言は、大学からの距離(電車と徒歩)を考えると、矛盾はないように思われる、とも。
マサール警視は、最後にルナールが自殺するような可能性について問いただしたが、私はかぶりを振った。「では、逆に他殺だとすると、誰を思い浮かべるか」と聞いてきた。私は、一瞬、棟方のことを思い浮かべたが、それにはマサール警視にあの結社のことも語る事になるだろう。それだけは、どうしても、回避しなければならなかった。
もしも、私たちが管理人とともにルナールの部屋を訪れていなければ、私たちをマサール警視は疑っただろう。マサール警視は、体制側の人間であり、明らかに私たちの反政府的な学生運動に警戒の念を持っていることが伺われた。「最近は、内ゲバとかあるからな。」と尋問の最後に、マサール警視は吐きすてるように言った。
マサール警視は、私たちの住所と連絡先を聞くと、改めて聴く事もあるかも知れない、といった。
そして、マサール警視は、キャレ警部を呼んだ。
「拳銃の種類は、コルト・ウッズマンのスポーツモデルだ。銃身の先についている照星は、削り落とされ、サイレンサーが装着されている。ところで、先程このアパルトマンについて調べたのだが、この壁は結構厚く、防音設計になっているようだ。しかし、事件があった際に、この建物の住民がなんらかの物音を聴いた可能性は否定できない。また、事件前後に、人の出入りを見かけたものがないかについても、聞き込みをする必要がある。聞き込みの際には、事件が起きた昨日の20時ごろから現在までのアリビ(現場不在証明)についても、念のため聞いておく必要があるだろう。」
次に、マサール警視の鷹の眼は、周辺住民に向かったのである。

ルナールの部屋は、科学捜査班によって徹底的に調べられた。予想されたことだが、拳銃には、ルナール以外の人物の指紋は検出されなかった。
ルナールの部屋からは、ルナールともうひとりの人物(X)の指紋が検出された。このXなる人物の指紋は、ルナールの学生仲間であるジベールとも、アルベールとも、勿論、管理人とも一致しなかった。マサール警視は、尋問の際にしきりに紅茶を勧めながら、この三人の指紋を得たのである。
ルナールには、秘密の恋人でもいるのか、マサール警視はいぶかしんだ。
壁という壁も徹底的に調べられた。
マサール警視は、壁板に打ち付けられた釘が刷新されていないかを確認した。釘は建造当時のもので、新しいものになっているということはなかった。つまり、マサール警視は、部屋自体が開放系になっていないか、を疑ったのである。しかし、この仮説も崩壊した。
その結果、壁の中の隠し金庫も発見されたのである。
金庫の鍵は、ルナールの机にあった鍵と適合した。ちなみに鍵からは、指紋は検出されなかった。
マサール警視は、その方面に詳しい科学捜査班の部下を呼び、鍵に書かれたNo.を、メーカーに言って、暗証番号を教えてもらえ、と言った。しかし、その部下は、金庫の種類から、暗証番号は4桁で、右左右左の順番に廻し、先頭の桁は3回転後、2番目の桁は2回転後、3番目の桁は1回転後、4番目の桁は直接廻せばいいといい、該当番号は左右に回転させるとかちりと小さな音がするので、あとは組み合わせを替えて試行すればいいといい、しばらくダイヤルを廻していたが、そのうち「開きました。」といった。
金庫の中は、空であった。
果たして、これが何を意味するのだろう。この隠し金庫は、管理人に黙って、埋め込まれたものと思われた。このような仕掛けをした以上、そこには何かが秘匿されていた可能性が高いと判断できる。
ルナールの部屋は、金銭や宝飾品を物色した形跡はなかった。
表向きには、なにかが盗まれたようには見えなかった。強いて言えば、隠し金庫の中に、なにかが隠されていたのならば…。
管理人によると、ルナールの両親は健在だが、完全に縁は切れているという。ルナールの実家は、相当な資産家であったが、ルナールは経済的に完全に独立し、両親からの援助を断ち切って生活しているという。マサール警視は、ブルジョワジーに依存しないことに、ルナールの革命思想が表現されているということを即座に理解した。実は、マサール警視には大学生になる長男がいるが、親のすねを齧りながら、革命ごっこにも首をつっこんでいた。その中途半端さに本人も気づいているために、時折、自分に暴力的な感情をむき出しにするのだろう。ジベールやアルベールの態度に、苦々しい感情を抱いたのは、無意識のうちに、自分の子供とダブらせて見ているせいかも知れなかった。

その日のキャレ警部の聞き込みにより、次のような事柄がわかった。
ルナールの部屋は、306号室だが、3階の部屋はルナールの部屋を含めて6部屋ある。3階の部屋は、中央の廊下を隔てて、偶数の部屋が3つと、奇数の部屋が3つ向かい合っている。
301号室には火夫グランとイザベル夫妻、303号室には会計士ミッシェルとシャルロットの夫妻、305号室には小学校教師アンリとシモーヌの夫妻、302号室に塗装工ギベールとカトリーヌ夫妻、304号室には学生のマリ=アンヌが住んでいるのである。
3階に至る階段は、301号室と302号室に近い位置にある。つまり、ルナールの部屋に至るには、3階の廊下を通り抜けるかたちになる。
まず、301号室に関していえば、イサベルは、11月1日は外出せず、在宅だったという。20:40頃にグランが帰宅するまで、一人でいたという。20:10から20:30ごろになにか物音がしなかったかの質問には、イサベルは気づかなかったと答えている。グランは、11月2日は8:30に家を出て、勤め先に向かったという。ちなみに、イサベルは、11月2日は、11:30ごろ買い物に出かけたという。
次に303号室については、シャルロットは11月1日の午前中は友達と会っていたが、午後は家にいたといい、20:20にミッシェルが帰宅するまで、一人だったという。ミッシェルの帰宅前後に、306号室から物音がしなかったかの質問には、気づかなかったといい、TVの音量を上げていたからかもしれないとシャルロットは語った。シャルロットによると、その日はセルジュ・ゲンズブールの出演する歌番組を見ていたという。ミッシェルに、帰宅した際にアバルトマン付近で、不審な人物を見かけなかったかと聞いたが、見かけなかったと応えた。ミッシェルは11月2日は、いつも
どおり7:30頃、出勤していった。シャルロットは、11月2日は、12:00ごろ近くの公園に花屋が出店しているのを知り、外に出たという。
305号室は、11月1日にアンリは19:00ごろ、小学校から帰宅した。その際、シモーヌは帰っていなかった。シモーヌは、中学校時代の同窓会に出かけていたのである。シモーヌが帰宅したのは、21:00頃であった。306号室の
事件当時の物音については、アンリは知らないといった。アンリは、11月2日は7:30ごろ家を出て、小学校に向かった。そのとき、303号室のミッシェルが自家用車に乗るのを見かけたという。シモーヌは前日の疲れで、11月2日は外出しなかったという。
302号室は、カトリーヌは11月1日の午後は、自宅にいたと語り、ギベールが帰宅したのは20:30ごろであったという。20:10から20:30ごろの306号室の物音には、まったく気づかなかったという。ギベールとカトリーヌ夫妻には、3人の男の子がいて、部屋中喧騒状態で、気づかなかったのかも知れなかった。11月2日、ギベールは8:00ごろに会社に出かけた。カトリーヌは、16:00ごろ買い物に出るまで、家にいたという。
304号室のマリ=アンヌは、11月1日は、19:40ごろ帰宅した。マリ=アンヌは、理系であるため、ルナールとの接点はなかった。前日から徹夜で実験をしていたため、11月1日は、帰宅後熟睡してしまったという。だから、306号
室で大きな音がしても、気づかなかったでしょうと語った。同じ学生であったため、随分怯えているように思われた。
自殺か、他殺か、わからないのですか?とマリ=アンヌは聞いてきたが、捜査上のことなので答えられないと答えた。マリ=アンヌは、11月2日は、10:50ごろ大学に出かけた。なお、ルナールの部屋に、東洋人が入っていくのを見たことがあるとの注目すべき証言を、マリ=アンヌはおこなった。

この事件は、やはり自殺として捉えるべきなのかもしれない。確かに、ルナールの遺書は発見されていない。隠し金庫にせよ、初めから何も入っていなかった可能性がある。
第一、他殺だとすれば、密室の壁をどう突破すればいいというのだろう。疑い得るすべては、確認したと思う。あとは、ルナールの部屋全体が、エレベータになっているというような奇想天外なものだが、老朽化したアパルトマンで、そのような大仕掛けなどあり得るはずがない。そんな馬鹿話など、真面目でユーモアを解さないマサール警視に話そうものなら、こっぴどく怒られるのがおちだ。
キャレ警部は、聞き込みでも不審な点は見つからず、次第に自殺説に傾きかけていた。
部屋の捜査は、深夜に及んだ。
遺書は見つからなかったが、ルナールは帰宅後、すぐに自殺を遂げたのだ。拳銃の入手経路について、配下の刑事から連絡がきた。拳銃はルナールの知人を介して、ルナールに売買されたものと判明した。その知人は、護身用と聞いていたが、自殺の準備のためだったのかと、絶句して嗚咽したという。つまり、拳銃はルナールのものに間違いがなく、その点でも自殺説に矛盾はない。
別の刑事には、ルナールの交友関係について調べさせた。
ルナールは、学業以外に、<現代思想研究会>や、反政府的な政治結社<赤い生>に関わっていた。<赤い生>は、相当過激な主張をする団体であり、アルジェリア戦争反対やベトナム戦争反対の際に暗躍したといわれているが、その全容は警察といえども把握しきれていたわけではなかった。ルナールは、その最高幹部らしいということがわかっ
たのである。最近<赤い生>は、ラングドッグの原子力発電所とフランスの核製作に対する反対運動を行っており、フランス以外の反政府団体とも連携をとって、大規模なデモを計画していたという。
間近に大規模なデモを計画していて、その組織の幹部が自殺を遂げるだろうか、とキャレ警部はふと疑問に思ったが、人間は誰にも他人には見せない心の深淵を抱えていて、大規模なデモの計画を立てるという疲労感から来る孤独感で、不意に魔がさすこともあり得るのだと思い直した。
ルナールの交友関係を調査した刑事は、ルナールの行動を追っていると、足取りの取れない日があるという。
その話を聞いて、キャレ警部は、マリ=アンヌの話していた謎の東洋人のことを想い出した。
「恋人かもしれないな。」とキャレ警部は言った。
「いや、そうともとれないんです。<現代思想研究会>や、<赤い生>と合同でデモ闘争をしたことがあるという政治セクトのメンバーから聞いたのですが、どうもなんかの宗教らしいです。それにはジベールも関与しているらしくて、ルナールと連絡が取れない日は、ジベールとも連絡が取れないらしいのです。」
唯物論と宗教か。」キャレ警部は頭を抱え込んだ。 <赤い生>は、<赤>がつくだけに、マルキシズムとつながりのある団体だろう。マルキシズムといえば、唯物史観だ。
つまり、唯物論ってことだ。すべてが物質だというのだから、神とかも認めないやつらだろう。それなのに、宗教の線が浮かんでくるとは…。
24時を過ぎたころ、マサール警視によって、本日の捜査の打ち切り宣言が出された。
ルナールの遺体は、すでに搬送済みである。ルナールの両親に連絡を入れたが、勘当した娘なので、司法解剖でもなんでもお好きなように、との回答だったという。ルナールの葬儀にも、親族の名誉に泥を塗った不届き者ということで出席する意思はないという。葬儀代は出すが、自殺で死亡などということは新聞には公表しないでもらいたい、ということであった。どういう親なんだ、とマサール警視は、怒ったが、親子の仲は完全に冷え切っていたと思われる。
美しいルナールの遺体は、監察医ラフォルグの手によって、細部に至るまで、切り刻まれるだろう。
ルナールの部屋の扉は、再度修理され、鍵がかえる状態になった。マサール警視は鍵をかけた後で、「警視庁・立ち入り禁止」と印刷されたシールで、目張りさせた。こうしておけば、何者かが出入りした場合、一目瞭然でわかるだろう。
マサール警視は、監察医ラフォルグの検視報告書が完成された段階で、異常な所見がなければ、この事件を自殺として処理するだろう。
膨大な事件が毎日のように発生するこの都市で、いつまでも針の穴のような可能性を探求しているわけにはいかない。
キャレ警部は、自殺として処理される前に、謎の東洋人と、ジベールと対決しておく必要はあると考えた。そうしないと、この事件に決着がつかない気がしたのである。

謎の東洋人の名前は、棟方冬紀といって、日本人であった。
彼は、数年前からサン・ジェルマン・デ・プレに住んでいた。彼のアパルトマンは、相当なぼろ屋敷で、彼はその屋根裏部屋を間借りしていたのであった。
彼はパリ第一大学の学生ではなかった。しかし、学生ではないにもかかわらず、パリ第一大学の構内を徘徊しているのを、多くの学生が目撃していた。
したがって、謎の東洋人の正体について、キャレ警部は、学生たちの証言から、容易にたどり着くことができた。キャレ警部は、棟方冬紀がパリに住み着くようになった経緯に、なにかうさんくさい印象を受けた。日本の公安に照会すれば、何かわかるかも知れなかったが、印象だけで外国の警察に問い合わせることも出来なかった。
彼はルナールの指導教授のH教授との知り合いであり、その関係でルナールに接近したと考えられる。
H教授もまた日本生まれであったが、棟方とはパリで知り合いになったと、H教授からの証言を得た。
棟方とルナールがつきあっていたかどうかについては、H教授は知らないと答えたが、ふたりは南仏の歴史や、現代の思想に関して、意気投合する部分が多かったようだ、と語った。
棟方に関する下調べで、キャレ警部は、彼が警察に対して良い印象をもっていないことと、思想的な話を持ち出すと、些細な意見の相違であれ、頭に血が登りやすく、激しい罵倒になりやすいことがわかった。キャレ警部は、棟方が手強い相手であることを、会う前から予想した。
キャレ警部が棟方のアパルトマンを尋ねると、彼はここは狭いからと、カフェ・リベルテを案内した。棟方に対する尋問は、喫茶店の片隅で行われた。
キャレ警部は、ルナールが死んだことを告げた。棟方は「ああ、そうですか。」と驚いた様子を見せなかった。
棟方は、ルナールの死因について聞いてきた。キャレ警部は、銃殺であることを告げると、棟方は「それは自殺なのか、他殺なのか」と聞いてきた。
キャレ警部は、「それはまだわからない。状況的に見て、自殺説が有力だが…。」と語った。
キャレ警部の尋問によって、棟方はルナールは以前、恋人であったこと、ルナールの主催する<現代思想研究会>に出席したことがあること、<赤い生>の政治路線には異論があり、コミットしたことがないこと、またルナールの関係した宗教団体については、なにも知らないことを述べた。ルナールと別れた理由は、主に思想的な対立であり、意見を異にするものと妥協することはあり得ない、と語った。
「ルナールと別れたというが、それはルナールを憎んでいるということか。」とキャレ警部は言った。
「いや、憎むことはない。ふたりの対立は、純粋に思想的なもので、感情的なものではない。」と、棟方はいった。
キャレ警部は、11月1日の20:10から20:30のアリビ(現場不在証明)について尋ねた。
棟方は、自分のアパルトマンにひとりでいたと語り、したがって、それを証明するものはいない、と言った。
念のために、棟方の11月2日の行動についても、キャレ警部は問いただした。
棟方は7:30ごろ、近くの公園にジョギングに出かけ、10:10ごろパリ第一大学に出かけたといった。
「それを証明する人はいますか。」との問いかけに、棟方は公園にジョギングに向かった際に、財布を拾い、近くの警察署に届けたといい、10:10ごろ大学にいたことについては、多くの人が見かけていると答えた。
キャレ警部は、棟方と別れた後、棟方が財布を届けたという警察署に出向き、遺失物取得届を確認した。
時間は11月2日の7:39になっており、問題の財布は、黒色の特徴のないもので、今のところ、落とし主は現れていないということであった。

ジベールの手記から。
11月3日
ルナール姐さんが死んだ。昨日は、慌しさと緊張感で気づかずにいたのだが、こうして1日経過してみると、ルナール姐さんの不在によって、心の中に大きな空洞が出来たのを感じる。
出来ることならば、これが悪い夢で、いつか醒めるものならばいいのに。
しかし、ルナール姐さんの死は、粛然たる事実であり、そこから眼をそらすことは出来なかった。
全部忘れてしまいたかった。もう一度、眠りにつけば、ルナール姐さんのあの無残な死に顔を忘れることができるだろうか。
自分にとって、ルナール姐さんを喪うことは、自分の内的宇宙の多くを失うことと同義だった。
いつかルナール姐さんが話してくれたことがある。 <実体のあるものとしての「私」は存在しない。「私」というものは、常に他者との関係の上に捏造される。生後間もない子供には「私」というものは、まだない。鏡の中に、自分の写し絵という他者を発見し、それが自分と同一だと捉えることから、「私」は生成される。ジャック・ラカン鏡像段階説は、そのことを言っているの。> <「私」とはなにか。「私」とは「私」に対して呼びかけることを意味する。トゥリー状のハイアラーキーを想定するならば、まず大文字の主体があり、これは神であり、君主であり、父親を意味する。そして、大文字の主体は、小文字の主体に呼びかける。「かくあれかし」と。次の第二段階では、呼びかけられた牧人にして、臣下にして、子である小文字の主体同士が、互いに呼びかけあう。最終的に、小文字の主体は、自分自身に呼びかける。呼びかけの声が、権力の行使であり、行使することなしに、権力はない。こうして、「私」は「私」を管理し、最も効率的にトゥリー状の権力体系が機能し始める。> <いつか私が先に死ぬことがあっても、ジベールには哀しまないでほしいの。わたしは、常に「私」と闘って来た。「私」という幻想に、亀裂を走らせようとしてきた。あるときは政治的なアジテーションの言語のなかで、あるときはオカルテ
ィックな象徴言語の中で。しかし、わたしの死に哀しむことは、「私」という実体があったという幻想を、再度強化してしまう。ゲシュタルト=マーヤー=ドコスは、破壊しなければならない。これは終始一貫したわたしの考えなの。>
ルナール姐さんの言いたいことはわかる。しかし、もうぼくの言葉にルナール姐さんは応えてくれない。
「私」が幻想だとしても、ルナール姐さんは超幻想なんだから。
涙がこみ上げてきた。押さえようとすると、胸の辺りがひくついて、余計に涙があふれてくる。
ルナール姐さんは、人間はいつ死ぬか判らないのだから、いつ死んでもいいように準備が必要だと語ってくれた。そして、ぼくに自分のすべてを注ぎ込んで、天使教育を行ってくれた。 <天使とは、生と死を超えることだけど、それは悲壮なものであっても、力んでもだめなの。要は、救われようとか、解脱しようとする心からも、解脱することが必要なの。> <地上の「悪」に抗するために、憎悪の炎をたぎらせるならば、自分が低次の感情に釘付けになり、「悪」に転化してしまう。「悪」も「善」も、本当はないということを知りなさい。>
ルナール姐さんの言葉は、いつも無限の愛が生成される慈愛空間に誘うものだった。「私」と「他者」、「悪」と「善」の二項対立が、二項対立でなくなる場所…。
すべてを超越していたルナール姐さんが、自殺するなんてことは、あり得ないことだった。あの部屋から<秘密の巻物>(実はその偽造品なのだが)が消失していることとか、<赤い生>による大規模のデモが間近いといったこととは別に、事件には大きな異和を感じていたのだ。しかし、ルナール姐さんが自殺することはあり得ないことを、他人に説明することは難しい。
自殺というからには、「私」に対する執着があったということを前提にしているだろう。だが、ルナール姐さんは、「私」に対する執着もなかったし、そこから派生する低次の感情とも無縁だったのだ。

キャレ警部が訪ねてきた。
キャレ警部は、ルナール姐さんとある種の宗教の関わりについて知りたかったようだ。
ぼくはキャレ警部に、ルナール姐さんと自分は、推察のとおり、ある種の秘教的団体に属していることを認めた。しかし、会派の名前や構成員、団体の所在地や教義については、会員以外には教えられないことを告げた。そして、その団体は、政治的なものではないし、黒魔術的で不道徳なものではないということを告げた。
秘密結社というものは、秘密でなくなった時から、秘密結社とは言わないものである。
キャレ警部は、ルナール姐さんの部屋の隠し金庫について尋ねてきた。
ぼくは少し躊躇したが、最低限のことだけを教えることにした。キャレ警部は、マサール警視よりも、自分たちのことを理解してくれるように判断したからである。
ぼくは、隠し金庫の中に、ぼくとルナールが所属している秘教団体の教義に関する文書が入れられていたが、盗難を怖れ、数日前に偽書と差し替えていたことを認めた。
キャレ警部は、盗難を恐れるような事態が、最近あったのか、と聞いてきた。キャレ警部の中で、ルナールによって余分に付けられた鍵や、護身用の銃の存在、そして隠し金庫の中の文書の存在がひとつにまとまり、やがて巨大な疑問に膨れ上がっていった。
「正直にいうが、捜査本部は自殺説が圧倒的に有力だ。というのも、あの部屋が、典型的な密室であったことが理由なんだ。」
キャレ警部は、ルナールの部屋が、完全な密室であることを確かめるために、さまざまな確認をしたことを告げた。それが、すべて空振りに終わったことも。
「しかし、君の話を聞くと、ルナールは何者かを恐れていたことになる。なにかの事件の前触れを感じていたということだ。今日の君の話で、疑問が膨れ上がったことは事実だ。しかし、密室の壁を突破しないことには、事件が自殺で片付けられてしまうのも事実だ。」
キャレ警部は、しばらく考え込んでいたが、「ところで、君は棟方という日本人を知っているね。」といってきた。
キャレ警部は、明らかに棟方に疑いの目を持っているようだった。
ぼくは棟方氏がルナールとつきあっていたことと、最近別れたことは知っているが、それ以上のことはなんとも言えない、といった。
キャレ警部は、棟方について、「どうにも食えない奴だ」と語り、「警察嫌いのくせに、11月2日の早朝に、落し物の届出を警察にわざわざしているのだからね。」といった。
そして、「なにか気づいたことがあれば、私に知らせて欲しい。少なくとも、私は君を信用することにしたからね。」といって、名刺を残していったのである。

業者から宅配で送られてくるダンボール箱のテープをはがし、無数の雨蛙を無色透明のプラスチックの箱に移す。ビニールの手袋をして、雨蛙を仕分けてゆく。雨蛙になっても、おたまじゃくしのしっぽのついたものを選んでゆく。
おたまじゃくしのしっぽのついたまま大人になった蛙の頻度は、低い。業者から送られてくるものは、あらかじめ選ばれた雨蛙ではない。業者は、一匹いくらで、この大学に雨蛙を納品する。
だから、膨大な数のまともな雨蛙が不要になる。
パリ第一大学の裏にある川に、不要になった雨蛙が破棄される。
こうして、大学の周囲では、生態系のバランスが崩れつつある。だが、それに気づくものは、今のところ誰もいない。
川の淵には、背の高いフェンスが立てられ、川の中を意識的に覗き込むものはいない。
しかし、夏になれば、異常な蛙の鳴き声がする。蛙は、蛙の卵を産む。蛙は、蛙を増殖させる。
今ではもう、大学の裏側の窓を開けるのも嫌だ。
指導教官の考えは、おたまじゃくしのしっぽの残った雨蛙は、アポトーシスを司る遺伝子に問題がある。アポトーシスとは、生命を維持するために、あらかじめプログラム化された死のことだ。生物は、幼態から成態になるまでに、姿を変える。不要な部分がなくなり、次第に成態として完成した形になってゆく。この不要な部分を、生命活動の一環として、自動的に壊死させ、その部分を自分と異なる他者として疎外することが、アポトーシスである。
指導教官のMは、生物学の新しい流れである自己組織化に関心を持ち、この実験を考え付いたのである。
おたまじゃくしのしっぽを持った雨蛙同士を交配させ、おたまじゃくしのしっぽをもった雨蛙を増やす。そして、おたまじゃくしのしっぽをもった雨蛙に起きる疾病を、健常体の雨蛙と比較する。
Mによると、ヒトの癌はアポトーシス不全症候群であるという。癌細胞は、身体全体というマクロコスモスを考慮することなく、 癌細胞自身というミクロコスモスのことだけを考え、利己的に不死を目指す。利己的に不死を目指し、周りの細胞を癌化させながら無限増殖をし、その結果、身体全体というマクロコスモスの方に死が訪れる。Mは、癌細胞が体内にあることが異常ではなく、身体全体というマクロコスモスを維持するために、この癌細胞をなんらかの理由でアポトーシスの機能が働かず、癌細胞が自死しないことが問題であるという。そして、アポトーシスの基礎研究は、癌の抜本的な対策のために必要であるという。
そうと頭では意義を理解していても、マリ=アンヌは、雨蛙の皮膚の感触が生理的に嫌いだった。触ると、ぴったりと張り付いてくるような感じが。
雨蛙の皮膚の粘膜には、毒素が含まれていることを知ってからなのかも知れない。
しかし、一旦、神経を集中させると、マリ=アンヌの手は機械のように分別を進めてゆく。そのとき、マリ=アンヌの魂は、マリ=アンヌがいる場所にいない。
だから、薬理学教室のマチウが入ってきたのも、マリ=アンヌは気づかなかった。
「ほい、差し入れだ。」とマチウは冷たい飲み物とハンバーガーを差し出したのだが、マリ=アンヌは気づかず、マチウはマリ=アンヌの顔を覗き込まなくてはならなかったほどだ。
マリ=アンヌは、マチウが悪い人間ではないのを知っていた。しかし、マチウはずぼらすぎると思っていた。
こうして、時折差し入れを持ってきてくれるのはいいけれど、マチウは薬理学教室のドアに鍵をかけずに出てゆく。
数日前も、誰か男の人が、薬理学教室の入り口で立っていた。逆光線でまぶしくて、その男が誰かはわからなかったけれど。
そのとき、かすかにベルガモットの香りがした。
不審な感じがして、駆け寄ったけれども、その男には追いつかなかった。
男の眺めていた光景を眺める。
マリ=アンヌは、その部屋に入っていった。ガラス窓の白い棚に、茶色や濃緑の小瓶が並ぶ。変わっていない。いつもとおなじだ。しかし…ふと、不安がよぎる。なぜだろう。なにか違うような気がする。マリ=アンヌの知覚が拡大する。知覚は薬棚を中心に、部屋全体に広がった。もはや、マリ=アンヌは、ここにいない。マリ=アンヌの触覚は、薬理学教室すべてに張り巡らされ、昨日までの光景とのわずかなズレを感知する。
そのとき、マリ=アンヌの眼が一層大きく見開いた。
普段、使わない濃緑の小瓶が、薬棚の奥にあるにも関わらず、位置が変わっており、量が減っている。
その薬の名前は…。
マリ=アンヌの存在に、戦慄が走った。

自分の隣の部屋の女性が変死を遂げたのを知ったときから、マリ=アンヌの世界は一層歪み始めた。
本当のターゲットは、自分なのではないか。
隣の部屋の女性は、私と間違えて殺害されたのではないか。
しかし、そのことを明らかにすれば、もういちどあの男がやってくる。
マリ=アンヌは、薬理学教室の前で立っていた男のことを考えていた。
闇の中に、無数の眼が光っている気がした。
蛙の卵のような無数の目玉が。
あの薬はいまだ使用されていない。
腐った卵の匂いのするあの薬は…。
まるで、その薬は自分に使用するために使われずにいるように思われた。
304号室の鍵を開ける。だいじょぶ。鍵はかかっていた。
電気をつける。
白のテーブルとオレンジのチェアがある。いつもとおなじ。いつもと…。
そのとき、テーブルの角度が、いつもと少し違う気がした。まるで、なにかにぶつかったように。
そんな…そんな…。
あたりのものを調べてゆく。これもある、これも、あれも…。
だけど、胸のあたりにひっかかったこの不安感はなんだろう。マリ=アンヌは、眼を閉じる。神経を部屋中に張り巡ら
し、わずかなズレも見逃さないようにする。なんだろう。なににひっかかっているのだろう。あっ…。
そのとき、マリ=アンヌの鼻孔が、かすかなベルガモットの香りを嗅ぎ取った。


ジベールの手記から
11月4日
「排気口を使って、外から正面玄関を閉めるトリックは、興味深いものがあるね。その方法は、排気口の入り口の鉄の網が障害になる問題点があるわけだけど。同様に、サッシ窓の内側の鍵を、排気口を使って、外から閉める機械的トリックも考えられるわけだけど、やはり鉄の網が障害になるわけだ。本当に困った鉄の網だ。そんなに細かければ、煙も逃げにくいだろうね。とにかく、仮に糸を使って、外から正面玄関なり、窓の鍵なりを外から閉めるには、支点による力のベクトルの切り替えが必要だろうから、天井あたりにピンか、ピンの跡があるはずだ。警察の捜査は、キャレ警部が君に話した内容を信用するしかないが、結構詳細に調べているようだから、そのような痕跡があれば、発見したと推測できる。ところが、発見できなかったということは、このアイデアは、検討に値しないということだ。」
アルベールの推理は続く。
「僕としては、キャレ警部が捜査を中断したという物入の天井の方が可能性はあると思う。その天井の四角い枠の中は、大人が通過でき、天井裏に出ることができるわけだ。その穴は、天井裏に引かれた電線の工事や修理のためのものなんだね。キャレ警部は、四角い枠の中の板を動かした瞬間に、相当な埃が落ちてきたから、だれもその穴を使用していないと判断したわけだったけれど、埃なんてものは、犯人によって板を動かした瞬間に、大量に落ちるように偽装工作されたかもしれないとは思わないかい。その天井裏への入り口を通じて、犯人の逃走経路は、306号室から、3階全体に拡大する。」
アルベールのアイデアは、画期的なもののように思われた。しかし、天井裏に登ることはいいが、どこから脱出すればいいのだろう。
「天井裏の構造と、そのような天井裏への入り口が各部屋についているかどうかは、検証する必要があるけど、この考えを敷衍してゆけば、犯人の脱出口として、306号室だけではなく、3階のすべての部屋の出入り口が使用可能になる。天井裏に潜みながら、無人になる部屋を探せばいい。これに関しても、キャレ警部は聞き込みで確認しているのだったね。ええっと、ルナールの死亡推定時刻以降で、一番最初に、留守の状態になったのは、304号室のマリ=アンヌの部屋か。ここは、11月2日の10:50に、完全に留守の状態になる。つまり、犯人は11月2日の10:50以降、304号室の正面玄関から出ることができる。無論、外に出てから、針金か、何かで、再度鍵を閉める必要はあるが。」
そこまで、アルベールの推理を感嘆しながら聞いていたが、そこでふと、この推理ではまだ不充分だ、という考えが頭をよぎった。そうだ。棟方という男は、11月2日の7:39に、ルナールのアパルトマンの外にいたのだ。そして、それを他ならぬ警察が証明している…。
いつしか、ルナールを殺害する動機があるのは、棟方以外に考えられないと思い始めていた。しかし、唯一動機のある男は、鉄壁のアリバイに守られている。ぼくは棟方に、底知れぬ狡猾さを感じていた。

11月5日
ルナールの部屋の物入の位置は、寝室の隅に位置していたが、他の部屋はどうなのか。また、他の部屋でも、物入の天井に、屋根裏に上がる入り口があるのか。もし、他の部屋も、同じ構造だとしたら、犯人が家主が就寝中の寝室に降り立つのは、非常に危険が伴うのだが。
ぼくは躊躇したが、キャレ警部に電話してみることにした。
キャレ警部は、「どうしたのか。」と聞いてきたが、「どうしてもルナールが自殺したということに納得がいかないのです。」と答えた。
キャレ警部は、検視結果からも不審な点は見つからず、予想通り自殺ということで事件は収束しそうだと答えた。そして、自分としても、決定的な新発見がなければ、捜査本部の方針に反して、一人で動き回るわけにもいかないんだ、と語った。心なしか、キャレ警部の声は、前回会った時より元気がなかった。
キャレ警部は、あのアパルトマンの3階は、ほぼ同一の構造をしており、寝室の片隅に物入があり、天井には天井裏に上がるための穴があり、板が載せて塞いである、と答えた。だが、そんなところに登ったところで、出口に困るだけではないか、あれが他殺なら、犯人は一時も早く逃走することを考えるのではないか、と言った。
ぼくは、キャレ警部に礼をいって、電話を切ろうとした。キャレ警部は、「気持ちはわかるが、ひとりで調べるのは危険すぎる。なにか気づいた点があるなら、言ってほしい。」といったが、「いえ、ただの思い過ごしでした。」と答えた。

実際、アルベールの仮説は、思い過ごしかも知れなかった。仮に、ルナールの事件が他殺で、棟方が犯人だとすると、11月2日の午前7:39に棟方が警察署にいるためには、あのアパルトマンの3階のどれかの寝室を通過せねばならない。果たして、音も立てずに、屋根裏から降り立ち、就寝中のベッドの横を気付かれずに通過することは可能なのか。それは、あまりに大きすぎるリスクであった。
ぼくは、数々の疑問や不安を胸に押し込み、しばらくルナールの残した仕事に専念することにした。
ルナールの死により、公式的な大学のサークルである<現代思想研究会>は、別の代表者を議決で決めることになったが、非合法の政治的結社である<赤い生>と、秘教的なスクールである<薔薇十字啓明会>は、事実上自分が後継とならざるを得なかった。特に<赤い生>は、近日中に大規模なデモと集会を予定しており、ルナールの代わりに、自分がアジ演説を行うことになっていたのである。
大規模なデモの情報は、公安当局の知るところとなり、国外からもルナールの人望のせいもあり、新左翼ノンセクト・ラディカルの大物がフランスに来るということで、緊張感が少しづつ高まっていた。
ルナールは、ラングドックの原子力発電所開発計画におけるプルトニウム再利用計画について、フランスの軍事的な核政策と結び付けて考えるべきであると主張し、問題は世界的な規模で進む原子力帝国化にあるとした。つまり、核の問題は、そのセキュリティーの問題から、国民の中に見えないテロリストの亡霊が隠されているのではないかという猜疑心を体制側が必然的にいだくようになり、情報の不透明化と全体主義的な統制の強化を招くというのである。
ルナールは、こうして反原発運動を、単なるエネルギー政策をめぐるラングドッグの一地方問題から、全地球規模の問題に拡大し、ファシズムや、環境破壊の問題とリンクさせたのである。
当局との小競り合いは、すでに始まっており、中規模なデモの際に、逮捕者やけが人が出たという報道が連日のように流されていた。
ぼくは、<赤い生>での打ち合わせの後、疲れた身体に鞭打ちながら、政治情況を把握するために、新聞のすみずみまでチェックして、一日を終わることにしていた。
新聞の片隅に、ギー・ドゥポールの挑発的な映画「スペクタクルの社会」が上映される予定が書かれていた。ドゥポールは、シチュアシオニスト・インターナショナルの運動を始めた人物であり、マルクスの価値形態論の読解から、資本主義が覆い尽くした現代社会はスペクタクル化しており、「外部」がないことを証明した。彼は、モノの生産によって、我々は生の統一性から遠ざかるとし、権力は警察的な監視の視線を強化しつつあり、我々の社会の内部に「敵」を作り出し、「敵」を排撃することで、単一的な価値観の下でのコントロールを可能にすると説いていた。
ドゥポールの議論は、過激な中に、静謐な絶望感が漂っていた。
ぼくは状況が、どんどん悪化している印象を持った。
時代は確実に「冬の時代」に向かっている。
また、バスク地方独立運動に、当局が警戒を強めているとの記事も見られた。
そのなかで、ぼくは尋ね人の小さな記事を見つけた。
失踪者は、地元の電気保安協会の電気工事技術者(31歳)で、11月1日の22:30ごろ、停電したアパルトマンの修理に行った帰りに失踪し、その後、協会にも、自宅の方にも姿を見せないという。警察では、失踪者に関する情報を求めているという。
ぼくは、その電気工事技術者の最後に向かったというアパルトマンの住所に、目を奪われた。
その住所は、見覚えのある住所だったのだ。

ジベールの手記から
11月6日
新聞記事をもとに、ぼくは地元の電気保安協会と、ルナールのアパルトマンを訪ねた。その二箇所の調査結果から、以下の事柄がわかった。
ルナールが謎の死を遂げた日の夜、ルナールのアパルトマンは停電騒ぎを起こしていた。22:00ごろ、急に3階だけが停電となり、この停電は3階の住人は全員周知の事実だったという。302号室のギベールとカトリーヌ夫妻がアパルトマン全体で、メンテナンス契約していた地元の業者を呼んだ。緊急の修理ということで、ベテランの電気工事技術者が、急いでアパルトマンに向かった。電気工事技術者がついたのは、約15分後であった。電気工事技術者は、電気配線を調べ、3階だけの停電ということから、3階の天井裏の電気配線が、なんらかの事情で断線したと判断した。電気工事技術者は、302号室の物入の天井から、天井裏に修理道具を手にして登っていった。
工事は、15分程度かかった。ギベールとカトリーヌ夫妻によると、その間、天井裏で物音はあまりしなかったから、断線箇所は302号室でなく、もっと奥の部屋の上かも知れないといった。ギベールとカトリーヌ夫妻の言う奥の部屋とは、階段からの距離が奥ということであり、つまりルナールの部屋の方と言う事になる。
3階の電気が灯り、ギベールとカトリーヌ夫妻は、修理が完了したのがわかった。電気工事技術者は、物入の天井から降りてきた。停電騒ぎに気づいて、101号室の管理人も、3階に登って来た。「年間メンテナンス契約料を払っているから、今回は無料だね。」と管理人が声をかけると、電気工事技術者は「そのとおり」とだけ答え、そそくさと出て行った。
今回の配線修理を頼まれた業者は、その電気工事技術者が現場に向かうとき、「修理に時間がかかるようだった
ら、今日は遅いから、そのまま直帰してもいいよ。」と声をかけていたから、その日、電気工事技術者が事業所に帰らなかったが、不審に思わなかったという。ただ、終了連絡くらい電話をかけてきてもいいのに、と思っただけだった。
翌日、朝も、電気工事技術者は、出勤しなかった。普段、無断欠勤する人間ではなかったので、事業主が不審に思い始めた。しばらくして、自宅に電話をいれてみたが、誰も出なかった。
その電気工事技術者は、独身者であったから、もしも、本人が急病とかで電話に出れないものならば、電話をかけても無駄であった。
その電気工事技術者は、事業所の車両を使って、アパルトマンに向かった。ということは、その車両も、その電気工事技術者の自宅にあるはずである。
事業主は、さらに翌日も欠勤したのならば、誰かに見に行かせることも必要だと考えた。社員が少ない事業所だけに、何日も休まれるのは、業務に支障が生じる。
さらに翌日も、電気工事技術者は欠勤した。ここに至って、事業主は、同じ方面に住んでいる社員に、帰りに様子を見に行かせることにした。途中下車になるが、この際、仕方がない。
ところが、その電気工事技術者の家には、朝刊が2日分、玄関ポストに溜まり、あふれ返っていた。ここに至って、事の重大さがわかった。
警察の調べで、その電気工事技術者は、アパルトマンの修理のあと、自宅に帰っておらず、事業所の車も、アパルトマンの近くに駐車したきりになっていた。
これによって、電気工事技術者の失踪が決定的となった。
ルナールのアパルトマンの住人は、ルナールの死亡事件の捜査の際に、停電騒ぎのことを告げなかったが、これは単にルナールの死亡と停電事件と結びつけて考えるものがいなかったためであり、停電騒ぎが約30分間程度で収まったためである。
電気工事技術者が帰る際に、ギベールとカトリーヌ、そしてアパルトマンの管理人が立ち会っているが、誰も電気工事技術者の顔を直視したものはおらず、わずかに「そのとおり」という一語を聞いただけであった。カトリーヌによると、
電気工事技術者は帽子をすっぽりとかぶり、帽子のひさしで顔がよく見えなかったという。「電気工事技術者が来たときと、帰るときでは顔が違っていたのではないか。」という私の問いかけに、3人はきょとんとした表情をみせた。
「帰りの電気工事技術者が、東洋人にすりかわっている可能性はないか。」との質問に3人は、まさか、という表情をみせた。
これは、認識のシャットアウト現象である。棟方の影響で、ぼくは日本の歴史について調べたことがあるが、サムライの支配する江戸時代、日本は鎖国政策をしており、幕末に黒船が欧米より来訪するに及んで開国することになる。その当時の日本人は、自分たちの国の外部ということを、ほとんど意識していなかった。だから、黒船が近づいてきたときも、当然見える距離になっても、見えなかったという。
アパルトマンに来た電気工事技術者は、アパルトマンから帰る電気工事技術者と、同一人物である。また、電気工事技術者は、自国民(フランス人)である。これらのドクサが、認識のシャットアウト現象を引き起こしたのだ。
また、「そのとおり」の一言だけでは、個人の識別は難しい。ましてや、電気工事技術者は、3人にとってなじみのない初対面の人物だったのだ。
電気工事技術者の失踪は、地元の警察署が扱っており、中央の警察は関与しておらず、したがってキャレ警部のいる捜査一課には情報が伝わっていなかった。
ぼくは、アパルトマンの管理人と、ギベールとカトリーヌの夫妻に無理に頼み込んで、302号室から天井裏に上がらせてもらった。
懐中電灯を片手に、天井裏に上がっていったが、板の部分は大人が載ると底が抜けそうなほど脆弱で、柱の上を移動するしかなかった。だんだん、眼が慣れてくると、天井裏はかなりの密閉空間で、予想に反して埃は少なく、柱の上に靴跡は残されていなかった。電気の配線が目に付いたので、辿ってゆくと、306号室の上あたりで修繕した箇所を発見した。それは、専門の技術者が行なったとは考えられない粗雑な方法で、ただ繋ぎ合わせて、ビニールテープでぐるぐる巻きにしただけの状態であった。建物の補強のために、太い柱が何本もあり、懐中電灯の光が直接当たるのを避けたならば、充分闇の中に身を隠すことは可能なように思われた。
天井裏は、思いのほか広く、306号室から天井裏に抜ける口を捜すのに難儀したが、わずかに漏れる光を手がかりに、やっと発見することができた。やはり、306号室の天井裏に抜ける口の上だけに、埃が山盛りになっており、不自然な印象があった。ぼくはあらかじめ用意したビニールの袋に、その埃を採取して入れた。電気工事技術者の死体があるのではないか、と考えたが、発見することはできなかった。また、血痕などの痕跡をさがしたが、これも空振りだった。犯人は、ルナール殺しと違い、痕跡の残らない方法で、電気工事技術者を始末したに違いない。
ぼくは、キャレ警部に会う前に、棟方と直接対決をする必要を感じていた。
明後日の反原発集会の前に、ルナールのために決着をつけるのだ。

カセットデッキAの出力端子から、もうひとつのカセットデッキBの入力端子に結びつける。カセットデッキAに、次々とカセットを入れてては、交換してゆく。早送りと、巻き戻しの繰り返し。無限に繰り広げられる編集作業。これが、何をもたらすか、は後のお楽しみだ。
自分は常に、先の先を読んでやってきた。もうすぐ追っ手が来るだろう。しかし、それは自分の計算の中に入った事柄だ。
ビートルズホワイトアルバムの中に収録された「Revolution 9」は、ピアノの音が流れ、No.9という男の声が繰り返される。そして、内乱を思わせる喧騒や、銃声、赤ん坊の声などが入り込む。この曲に関して、ビートルズマニアの評判は悪い。つまり、周りの取り巻きが悪いということだ。
基本的に、ビートルズよりもローリング・ストーンズを聴いてきた。ゴダールは、「ワン・プラス・ワン」でローリング・ストーンズの練習風景のドキュメンタリーを、創作の中に取り入れたとき、ビートルズが嫌いだといったそうだが、それは単にビートルズに出演交渉をして、断られただけの逆恨みにすぎない。
「ミッシェル」のメロディアスなセンチメンタリズムよりも、破壊的な反抗の曲「黒く塗れ」を好んだ。ストーンズこそ、労働者階級の英雄だった。
しかし、あまり好きではないビートルズの曲の中にあって、「Revolution 9」という曲は、心のどこかに引っかかってい
た。つまり、革命を起こそうという人間の頭の中を、革命するねらいがあったからである。
「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のアルバム・ジャケットは、<私の好きな人>というテーマで、古今東西の有名人の顔が並んでいる。その中に、ウィリアム・S・バロウズの顔もあったはずである。
ウィリアム・S・バロウズは、ビート・ジェネレーションの作家で、カット・アップ、ホールド・イン・メソッドを文学に導入した。カット・アップは、要するに古今東西の名作や新聞や、ありとあらゆるものを切って繋ぐ方法であり、ホールド・インとは、切り貼りも面倒なので、折って違うセンテンスと繋ぐことである。この方法は、もともとは美術のコラージュの手法である。
バロウズは、その著作の中でカット・アップによる音楽を夢想していた。
さまざまな音源を切りつなぎ、時として早廻しや、逆回転を行い、再編集を行い、新しい音楽を作り出すということである。
この実験は、「Revolution 9」で初めて現実に存在する形をとった。
ここから、聖書の朗読テープの逆回転で悪魔を召還する方法や、さまざまな音源をサンプリングして、フラクタルな音楽を生む潮流が生じたのである。ノイズ・インダストリアル・ミュージックなどというジャンルもまた、「Revolution 9」を母胎としているのではないか。
自分は今、音源の編集を通じて、ある種の厄災を召還しようとしている。
バロウズは、心霊学の軍事利用についても思考している。呪いAが効かなければ、呪いBを発動させる。呪いBも聞かなければ、呪いCを発動させる。
自分は、自分の追及者をこの手で破滅させるだろう。そのための武器は、すでに用意されている。
バロウズは、自分の敵を消去する方法についても思考している。写真の中に写ったターゲットの家を、切り抜き、焼き捨てる。こうして、ターゲットの消去された光景を、識閾下に焼き付ける。そして、意識の上では、これを完全に忘却する。
自分は、自分の追及者をこの手で消去するだろう。そのために、やるべきことはやった。
追い詰められているのに、ふつふつと悦びが沸いてくる。これは、残忍な笑いだ。
「観念論」は、大幅な方向転換を行ない、完成に近づきつつある。当初、ヘーゲルの「精神現象学」の真正面からの反転を行なおうとしたが、どうしても書き続けることができず、さまざまな文学作品にさまざまな症例を見て、そこに観念の発生から、党派観念としての完成を見て、それが自壊するまでを読み取る方法ならば、なんとかなりそうな気がしてきたのである。
自分の方法は、徹底的に自己を否定して、泥沼の底まで自己を沈め、それでも否定しきれないものから、観念を撃つということである。そのために、自らがおぞましい怪物になり、鋼鉄の廃墟に魂を住まわせることにしたのである。
そこには、天使的なものなど、入り込む余地はない。
自分の造り上げつつあるシステムを廃滅するシステムに、天使的なものの侵入は、システム崩壊をもたらすだろう。
もうひとつの革命の可能性など、握りつぶしてしまった方がいいのだ。
自分は、純粋贈与による愛の空間、そんな甘美な誘惑など断ち切って、地獄の底を這いずり回る方を選んだのだ。
地獄の業火に焼かれる苦痛ほど、愉楽に通じるものはない。
棟方は、「観念論」のために用意した資料を、鞄の中から取り出し、広げ始めた。
それは、古新聞であり、東アジア反日武装戦線の文字があった。
笑い袋のような名前の爆弾の作り方が、そこには図入りで説明してあった。
棟方は、そこから半分だけアイデアを拝借することにした。

「棟方さん、あなたはルナールのアバルトマンに何度も足を運ぶうちに、管理人が管理室を出て、101号室で過ごす時間帯を、把握したのです。あのアバルトマンの管理人は、朝の9:00から、夜17:00までしか管理室におらず、しかも11:40から12:30の昼食時も不在となる。しかも、10:00から10:30も、101号室で連続TVドラマを見るために、101号室に戻ってしまう。あなたは今回の犯行を、すべて管理人が管理室を不在にする時間帯に行なっているのです。11月1日、20:10ごろ、ルナールが自宅に帰宅すると、すでに306号室の中にいました。ルナールと付き合っているうちに、ルナールの隙をついて、合鍵をつくったか、あるいは独自のピツキング・ツールでも持っていたのでしょう。後の犯行を想定すると、後者の可能性が高いと考えますが。あなたは、そこで<薔薇十字啓明会>の資料を物色中だったのでしょう。あなたは、事前に用意していた薬物を使って、ルナールを昏睡状態にし、ルナールの鞄の中から、拳銃を取り出し、ルナールの右手に握らせた上で、ルナールの頭の右側に銃口をあてがいながら、引き金を引いたのです。その際、サンレンサーがついていたことと、アパルトマンが防音構造になっていたことで、幸い隣室には判らずに済みました。そして、自分が来た痕跡を消して、物入の天井の入り口から、屋根裏部屋に上がったのです。なぜ、天井裏に上がるようなことをしたかといえば、ルナールの死を自殺に見せかけるためでした。」
ジベールの追求を、棟方は黙って聞いている。
「天井裏に登ったあなたは、天井裏に走っている電線を切断します。3階は、急に停電になり、302号室の住人が電気工事技術者を呼びます。派遣されてきた電気工事技術者は、天井裏の電線が断線していると判断し、302号室の物入の天井の入り口より登ります。闇の中の物陰に潜んでいたあなたは、またしても薬物を使い、電気工事技術者を失神させ、今度は銃ではなく、さらに短期間で叫び声も出せなくなるような致死性の薬物で死に至らしめます。
銃を使わなかったのは、音の問題もありますが、なによりあなたが欲しかったのは電気工事技術者の制服だったからです。あなたは死亡した電気工事技術者から衣類を奪い、それを着ました。幸いなことに、電気工事技術者の制服は、帽子つきでした。そして、電気工事技術者の持っていた工具を用い、電線を繋ぎ、テープで固定しました。こうして、修理が終わったふりをして、あなたは電気工事技術者の格好で302号室から出て行ったのです。その際、あなたは日本人であることがわからないように、最低限度の言葉しか発しませんでした。こうして、あなたは11月1日中に、ルナールのアパルトマンを脱出したのです。そして、11月2日の朝に、自分で落し物を捏造して、警察に届けたり、パリ第一大学の校内を目立つように歩き回ったのです。ルナールのアパルトマンで、ルナールの死亡推定時刻以降に空室となったのは、11月2日の10:50、304号室が最初でした。仮に天井裏のトリックに気づく者がいても、11月2日朝の警察署でのアリビ(現場不在証明)があなたを守ってくれるというわけです。」
さらに、ジベールは続けた。
「さて、天井裏に残った電気工事技術者の死体は、早々に片付けないと墓穴を掘ることになる。あなたは、11月3日以降、再度ルナールのアパルトマンの管理人室が空室になる時間帯を狙って、3階の留守宅に侵入します。おそらく、一人住まいの304号室あたりが狙い目だったでしょう。こうして、電気工事技術者の死体を運び出し、おそらくは車でパリ郊外の森に埋めたのでしょう。」
「ほぉ、貴方はそこまで、考えたのですね。」暗い闇の中で、棟方はつぶやいた。
「貴方は、私がルナールを殺害する動機があるとでも…。」
「棟方さん、あなたはルナールの思想に、ことごとく対立していた。<赤い生>でルナールはロシア・マルキシズムとは違う別な革命の可能性を模索していた。しかし、あなたは、すべての革命は、無限のテロルと専制に行き着くとして、取り合おうとはしなかった。あなたは、ロシア・マルキシズム弁証法的権力を見出し、そこにテロリズムの根源を見ようとした。仮に、弁証法が個の主張を圧殺する論理になりやすいにしても、それならなぜ反弁証法的、もしくは脱弁証法的な別な革命の可能性を追求しようとはしないのか、とルナールなら言うでしょう。また、ルナールの<現代思想研究会>は、フーコードゥルーズデリダの思想を探求していたけれども、あなたの哲学はフッサールバタイユが核となっており、両者は厳しく対立する関係だった。さらに<薔薇十字啓明会>は、絶対に到達するためには、執着をなくし、どこにも拠点を置かないことを主張していたのに対し、あなたは絶対に到達するためなら、殺戮も辞さないタイプだった。」
棟方は、なにがおかしいのか、くっくっと笑い始めた。
「貴方は、さまざまな推理を聞かせてくれたけれども、それはこのような可能性があるというだけで、こうであったという決め手にかけています。以前、ルナールは自殺の可能性はあるし、電気工事技術者の失踪はルナールの死と無関係なものなのかも知れない。また、ルナールの死が他殺としても、それは私が犯人であるとは限りません。ルナールは、その政治的・思想的・宗教的言動で、多くの味方と同時に、敵を生みました。私はルナールの死を、体制による謀略と考えています。」
なにを言い出したのか、ジベールには棟方の考えがよくつかめなかった。
棟方は、ルナールの死を、政治的な暗殺であるという説を展開し、ルナールの死に憤りを感じているという。こうして、ジベールが仲間を疑い、査問を行なうようになったのも、すべて体制による謀略であり、明日の集会ではルナール暗殺に抗議する追悼集会にしたいというのである。
いままで、<赤い生>の政治路線に、終始否定し続けた棟方が、どうしたわけか、明日の反原発デモと集会に全面協力をしようというのである。
棟方は、いままでひたかくしにしてきたけれども、日本ではオルガナイザーとして、その筋の者には有名な存在だったのだと語った。
そして、自分もルナールのために、アジ演説を行ないたいので、明日の集会の日程が詳しく知りたいと言ってきた。
ジベールの演説の時間帯や、演台の位置や高さ、周りの状況に関するつっこんだ質問を、棟方はしてきた。
なぜか、棟方は急に積極的に関与してきたのである。

棟方はなぜ<赤い生>に協力する気になったのか。自分の疑いは、誤りだったのか、ジベールは自問した。
その日の晩は、ジベールは寝付かれなかった。
翌日、散々迷った挙句、ジベールはキャレ警部に連絡を取ることにした。
キャレ警部は体制側の人間であるという意識と、自分の反政府活動のポリシーに矛盾を感じないわけではなかった
が、自分の発見を黙っていることは出来なかった。
キャレ警部は、電気工事技術者の失踪事件のことは知っているといい、ジベールの推理を聞いて、本日中にもルナールのアパルトマンの天井裏の捜査と、電気工事技術者の死体を運ぶためにレンタカーを借りた形跡の有無に関する調査、電気工事技術者の死体を隠した場所(森や川底等)の調査を開始することを約束してくれた。
その日のジベールの活動は、多忙を極めた。
ラングドッグの原子力発電所開発計画反対行動には、ルナールの事前準備の甲斐があり、内外の反体制グループ、エコロジストグループ、市民団体など多数が集まった。ルナールの死は、活動家の一部に伝わっており、今回の行動にルナール追悼の意味を込めて参加するものも多かった。ジベールは、ルナールに代わる新指導者として、これらの団体のリーダーに謝礼を込めて、挨拶をして廻り、本日の行動に関して、再確認を行なった。
まず、午前中、原子力発電所開発地域に向けて、渦巻き状にデモを行う。この際に、渦巻きは、徐々に原子力発電所を中心に、円周を狭めてゆく形をとる。こうすることで、原発推進派に威圧感を与えようというのである。
次に、原子力発電所開発地域に隣接した公園にて、反対集会を開く。この際、各グループの代表者の演説が行なわれることになっており、正確に持ち時間が決まっていた。ジベールもまた、演説が予定されていたが、<赤い生>は一部の政治集団の幹部には知られていたとはいえ、表舞台に登場したことはなく、このときも<赤い生>の代表としてではなく、ラングドッグ原子力発電所開発計画反対同盟代表として紹介される予定であった。
最後に、公園から放射状の方向にデモ行進を行い、散会となる。
デモと集会は、原発反対派の存在の大きさを示すことが第一にあり、おそらく警官隊の監視がなされるであろうが、一人の逮捕者も出さないよう整然と行なうことを各グループにジベールは申し入れた。
午前中のデモは、警官隊が現れたが、混乱を招くことなく、整然と行なわれた。
予想に反し、参加者は多く、事前の盾看板やポスターによって、反対集会には一般市民も多数参加しているようであった。
プルトニウムの再利用と、軍事目的への転用には、不安を持っているものが少なくないことをジベールは感じていた。
心の中で、ルナールに向けて「姐さん、勝利だよ。勝利だよ。」とつぶやいていた。
棟方は特に不審な行動を示すことなく、午前中からジベールの左側後ろについて廻った。
ジベールは棟方の突然の飛び入り参加に、なにか釈然のしないものを感じていた。
棟方は、「黒」と断定するのは早いにしても、依然「灰色」であることには変わりない。
ジベールは、反対行動の遂行状況に気を配りながらも、棟方の行動に注意をしていた。
反対集会は、順調に進み、もうじきジベールの演説時間が近づいていた。
さまざまな色の旗や、手製の垂れ幕が続く中、人の波をかき分けながら、ジベールは演壇に登っていった。
ジベールは、マイクをもってしゃべり始めた。
「この集会を企画したある女性指導者は、人類の将来に関して一抹の不安感を感じていました。原子力発電所開発計画は、さまざまな危険性を想定し、それを回避するために、原子炉の防護壁を幾重にもしたり、メルトダウンを避けるため冷却水を注入する仕組みなどがなされています。しかし、我々はそれでも完全に危険要素を除去することができないと考えています。ひとつには発電所設備が将来老朽化し、金属疲労などが起きてくる問題です。放射能で汚染された空間内で、修理を行なうために、産業用ロボットなどの開発も進んでいますが、多くは下請け会社の低賃金労働者に危険な仕事を任せることになります。また、原子力政策自体、安全神話に支えられて遂行されているため、発電所内で起きた事故やトラブルに関する情報が隠蔽され、さらに大きな事故に結びつく可能性があります。また、放射能を含んだ産業廃棄物の処理方法に関しては、現在、完全な処理方法が確立されていません。せいぜい、幾重にした容器に入れ、さらにそれにコンクリートで包み、地底深く、あるいは海中深く沈める方法しかありません。そして、この方法では、放射能廃棄物が半減期を迎える前に漏れ出すのは確実で、植物や魚がそれを摂取し、めぐりめぐって我々の食卓に廻ってくることもあり得ます。化学汚染について、食物連鎖の関係で、ある生物を食べるものは、何匹も食べますから、体内で化学物質が濃縮されることが指摘されています。放射性廃棄物についても、人間の食卓に廻ってくるときには、濃縮されて廻ってくるでしょう。この問題に対して、わが政府は、プルトニウムの再利用を考えました。放射性廃棄物の中でも、特に致死性の高い物質ですが、これを再度発電に使ったり、核兵器に転用しようというわけです。これは、より危険性の高い方法の選択といえます。こうしてみると、原子力発電所問題は、単なるエネルギー開発に関わる問題にとどまらず、エコロジーの危機の問題であり、核兵器開発の問題でもあることがわかってきます。私の尊敬しているある女性指導者は、将来の子供たちのために、生贄が必要なのか、と自問しました。そして、自分を苛めながら、反原発運動にのめりこんだのです。ラングドッグでの原子力開発計画は、ロベルト・ユンクの指摘する原子力帝国の始まりでもあります。この地域に、原子力発電所が出来ることで、この地域は厳重な警備体制に置かれるでしょう。それは、原子力発電所を狙うテロリスト対策の意味もありますが、反対派の一般市民を締め出し、この帝国内で起きた問題やトラブルに関する情報を囲い込むためのものなのです。」

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http://d.hatena.ne.jp/dzogchen/20051020