ヴォイツェク

「人間は誰でも彼でも深い淵だ、覗き込むとめまいがする。」(ゲオルク・ビューヒナー著、岩淵達治訳『ヴォイツェク/ダントンの死/レンツ』(岩波文庫)より「ヴォイツェク」96ページ)

ヴォイツェク ダントンの死 レンツ (岩波文庫)

ヴォイツェク ダントンの死 レンツ (岩波文庫)

カール・ゲオルク・ビューヒナー(1813年〜1837年)ヘッセン大公国の首都ダルムシュタットの郊外ゴッデラウで生まれ、当時フランス領であったストラスブール大学で医学を学んだ。つまり、本業は自然科学者(動物解剖学)・医学者である。
その彼がなぜ文学に手を染めるようになったのか。
七月革命以降、大学生活を送った彼は、人権思想を学習した。それゆえ、ドイツの田舎町のギーセン大学に戻った彼は、搾取されている農民の貧しい現実を知り、彼らを覚醒させるために「人権協会」を設立した。が、宣伝パンフレット「ヘッセンの急使」が差し押さえられ、仲間が次々と逮捕され、やむなく亡命を選択するまでに追い詰められた。亡命資金を調達するために書いたのが、革命劇「ダントンの死」であった。

「ヴォイツェク」は、未完でありながらも、強烈なインパクトを与える作品である。
この作品は、戯曲形式である(後に、様々な解釈のもとに、オペラや舞台上演がなされている。)が、その順番に関しては議論はあるし、また主人公ヴォイツェクが最終的にどうなったのかも、不明である。
しかしながら、そんなことは瑕疵にならない衝迫力が、この作品にはある。
「ヴォイツェク」には、モデル人物がいる。ヴォーストという未亡人を嫉妬から殺害したヨーハン・クリスティアーン・ヴォイツェクという鬘師である。彼は一旦精神異常とされ、処刑が延期されたが、最終的に責任能力があると認定され、公開斬首刑に処せられた。
ビューヒナーの「ヴォイツェク」では、フランツ・ヴォイツェクやマリーら第四階級の人々だけが名前で呼ばれ、身分の高い人々は役職名で呼ばれるだけである。既に、当時の良識を逆なでする書き方が為されている。
岩淵達治訳では、大尉が椅子に腰掛け、ヴォイツェクが彼の髭剃りをしているシーンから始まっている。(何度でも言うようだが、どれがはじまりのシーンがかについても各説ある。)大尉は、時間が有り余っており、そのことを意識するだけで憂鬱になっているが、貧困層にいるヴォイツェクにはそんな余裕はなく、日々の生活に追われており、話が噛みあわない。この作品では、階級間の諸矛盾が終始意識されている。
ヴォイツェクは、貧しさゆえに医師の人体実験に協力している。これはエンドウ豆だけを摂取するとどうなるか、というものである。ヴォイツェクは、これによって、軍隊で支給される食事を辞退し、その食費分を還元してもらっているのである。
そんなヴォイツェクの世界の中心には、マリーという女性がいるが、ある日一瞬にしてその世界が瓦解するのである。すなわち大尉が、鼓手長がマリーに接近し、マリーが淫売まがいの行為をしていることを仄めかすのである。
ヴォイツェクは、精神錯乱に陥る。刺し殺せ、刺し殺せ、あの牝狼を刺し殺せという声が、ヴォイツェクの頭蓋のなかに響き渡るのである。

ビューヒナーの「ヴォイツェク」を読むと、一瞬、現代の作品ではないかと錯覚を覚える。
その過激な革命思想、精神分析的洞察、実存的深淵の探求……どの要素も先鋭的で、今日の観点からしても刺激的である。
「ヴォイツェク」、非常に恐ろしい深淵を覗き込んだ感覚にさせる作品である。

◆この本を読んだ人へのその他の推薦書

地霊・パンドラの箱―ルル二部作 (1984年) (岩波文庫)

地霊・パンドラの箱―ルル二部作 (1984年) (岩波文庫)

三人の女・黒つぐみ (岩波文庫)

三人の女・黒つぐみ (岩波文庫)