アッタレーア・プリンケプス

dzogchen2007-04-08

中学校の頃、国語の授業で、「これまで読んだ本の中で、印象に残った本を挙げてください」と先生から指名を受けて、「ゲーテの『ファウスト』と、ガルシンの『アッタレーア・プリンケプス』」といったことがあり、前者は先生も知っていたのですが、後者はご存知ではなかったようで、後日確かにそういう作品がありますねぇということになった。
ガルシンというロシアの作家は、『赤い花』とか『信号』とかが有名で、時折教科書についたりしていたが、『アッタレーア・プリンケプス』は、めちゃくちゃ暗いからなのかマイナーな作品である。
舞台は植物園の温室のなかで、主人公はアッタレーア・プリンケプスという学名の棕櫚の木である。太陽と広大な青空が好きだったのに、南国から遠い国に連れてこられて、ガラスの部屋に拘禁され、太陽と青空から隔絶される。仲間の植物たちに、力をあわせてガラスを突き破り、外に出ようと話を持ちかけるが、仲間たちは日常のごたごたに夢中で、棕櫚の木の提案を拒否する。棕櫚の木は、葉や枝に流れ込む生命の流れを、ただひたすら天上に向けて体を伸ばしてゆくことに専念する。すでに体はぼろぼろで、葉や枝は枯れ、痛々しい姿になっても、だ。
やがて棕櫚の木は、天上のガラスに触れるようになるが、頑丈なつくりで体が折れ曲がり、一層の苦痛を味わう。だが、全力で体当たりをし、ようやく鉄の棒がはじけとんだ。
ガラスの牢獄から自由になれた瞬間、外は寒々とした風が吹きすさぶ冬の景色が広がっていた。南国生まれの棕櫚には、生きられない氷の世界である。
挙句の果てに、園長が棕櫚の木をのこぎりで切り、根をひっこぬくことに決定する。ただひとり、棕櫚に同情的であった名もない草も、そのときひっこぬかれて、棕櫚の死骸の上に捨てられる。
なんて、完璧なお話なんだろう。
棕櫚の木は、生命の象徴であり、ガラスの檻は当時のロシア政治の象徴なんだろう。かずかずの植物は、虐げられたロシアの民衆である。
ガルシンは、生命を愛し、ロシアの民衆を愛し、それでこのようなお話を書いたのだ。
ここには、そんなガルシンのすべてがつまっている。世界を変えようと云っても、理解されない悲しみ。先んじて、生命の立場に立つ主張を貫こうとする苦しみ。そして、報われない過酷な現実。
ガルシンは、ヒューマニズムの作家として知られているが、そのヒューマニズムは尋常ではない。曲がりくねっても、延々と伸び続ける棕櫚の木のように、蛇行し、周りの人のために、のたうちまわる。
ガルシンは、メッチャンコ、いい奴に違いない。