推薦書 〜新しい経済学のための

雨宮処凛著『生きさせろ! 〜難民化する若者たち』(太田出版

生きさせろ! 難民化する若者たち

生きさせろ! 難民化する若者たち

※本書で雨宮は、フリーターの生活実態、ホームレス、漫画喫茶難民などを取材し、
(1)プレカリアート(不安定階級)の立場に立った生存権闘争の必要性を説き(雨宮は、具体的には「NPO法人自立生活サポートセンター・もやい」やフリーター労組のような活動や、「自由と生存のメーデープレカリアートの企みのために」のような抗議行動に関心を示している)
(2)社会学者・入江公康氏にインタビューし、今日の貧困問題がネオリベラリズム新自由主義)に起因し、解法のひとつとしてベーシックインカムという考え方があるということを引き出している。

雨宮処凛福島みずほ共著『ワーキングプアの反撃』(七つ森書館

ワーキングプアの反撃

ワーキングプアの反撃


※かつて民族派右翼の団体に所属した雨宮だが、ここにきて社民党党首との対談本を刊行している。このふたりは、「自由と生存のメーデープレカリアートの企みのために」を通して接点が出来たとのこと。
ここでは、生きづらさや貧困を自己責任にする風潮が鋭く批判され、社会そのものを変える必要性が語られている。

雨宮処凛著『雨宮処凛の「オールニートニッポン」』(祥伝社新書)

雨宮処凛の「オールニートニッポン」 (祥伝社新書)

雨宮処凛の「オールニートニッポン」 (祥伝社新書)


雨宮処凛によるインターネットラジオオールニートニッポン」の記録。
このラジオ・パーソナリティの仕事は、ノーギャラであり、番組制作スタッフも、100%ニートの未経験者だという。
本書に登場するゲストは、「こわれ者の祭典」代表の月乃光司氏や、NPO法人自立生活サポートセンター・もやい事務局長の湯浅誠氏ら。
大槻ケンヂとの対談もあり。

柄谷行人トランスクリティーク 〜カントとマルクス』(批評空間)

トランスクリティーク ― カントとマルクス

トランスクリティーク ― カントとマルクス

柄谷行人の『トランスクリティーク』は、理論書でありながら、かつ実践の書でもあるという両義性を持っている点で、数ある柄谷の本のなかでも特異性を持っている。
本書で、柄谷がやろうとしたことは、資本制=ネーション=ステート批判であり、そのためにトランスクリティカルな対抗運動としてのアソシエーションを持ってくるというものである。これは、グローバリゼーションに対する防波堤にして、じわりじわりと資本制=ネーション=ステートを消滅=解体に導いてゆく試みと考えられる。
柄谷は、本書のあと、NAM(NEW ASSOCIATIONIST MOVEMENT)の具体的な活動に移り、LETS(LOCAL EXCHANGE TRADING SYSTEM 地域交換取引制度)を導入する試みを実践しようとする。
NAMの実験が失敗に終わったのは、アソシエーションの中心として柄谷が位置づけようとした出版部門(批評空間)の代表者が急逝を遂げたという不幸に加えて、地域通貨がうまく機能しなかったということが言われている。しかしながら、地域通貨が機能しなかったのは、地域交換取引制度の問題ではなく、アソシエーションの中に、人々を魅惑し、虜にする要素があまりにも無さすぎたからではないかと考えるがどうだろうか。
ともあれ、NAMが活動停止に終わったとはいえ、本書の価値は失われるものではない。失敗の反省が、新たな道を指し示すことに繋がるはずであるから。

柄谷行人著『原理』(太田出版
※2000年6月、大阪で結成されたNAM(NEW ASSOCIATIONIST MOVEMENT)のマニフェストというべき一冊。
NAMのプログラムを示した「NAMの原理」と、結成総会報告(柄谷行人西部忠高瀬幸途、巧木水による)からなる。
トランスクリティーク』の項で述べたように、この運動は失敗に終わったが、失敗の原因を探ることで、新たに見えてくるものがあるはずである。その意味で、本書は再検討すべき課題を提示しているといえる。

◆「NAM学生」編集、柄谷行人浅田彰坂本龍一山城むつみ村上龍王寺賢太・三宅芳夫・鈴木健・山住勝広共著『NAM生成』(太田出版

NAM生成

NAM生成


※NAMで行われた共同討議や、NAMでなされたネットコミュニティ通貨やニュースクールに関する提言を収め、多用な活動の一端を紹介した本。

柄谷行人編著『可能なるコミュニズム』(太田出版

可能なるコミュニズム

可能なるコミュニズム

※柄谷による「『トランスクリティーク』結論部」、西部忠による「<地域>通貨LETS 貨幣・信用を超えるメディア」、山城むつみによる「生産協同組合と価値形態」の三論文のほか、島田雅彦市田良彦を迎えての共同討議2本を収録する。
「『トランスクリティーク』結論部」が収録されているのは、本書刊行時点では、まだ単行本が刊行されていなかったからである。
このなかで西部忠によるLETSの紹介が興味深い。グローバリゼーションのもとでは、不況は全世界的に人々に影響を与えるが、地域通貨が流通している経済共同体では、ダイレクトにダメージが来ることがないのである。

柄谷行人著『倫理21』(平凡社ライブラリー

倫理21

倫理21

※『トランスクリティーク』とほぼ同時期に、柄谷は21世紀の倫理についても考えていた。
このなかには、カントから影響を受けた「世界市民的に考えることが『パブリック』である」という主張や、「幸福主義(注……柄谷は功利主義の意味で、この言葉を使っている)では環境問題はとけない」といった主張をしている。
柄谷は、自己の利益追求を第一に置く資本制のもとでは、環境破壊はさらに深刻化すると考えており、自己の利益よりも、世の中の全体を考えて行動する必要があるとしている。
つまり、柄谷の主張する資本制に対するトランスクリティカルな対抗運動としてのアソシエーションという考え方には、利益第一主義による環境破壊に制限を科すという意味合いも含まれている。

柄谷行人著『世界共和国へ 〜資本=ネーション=国家を超えて』(岩波新書


※『トランスクリティーク』で、柄谷は資本・国家・ネーションを超え出る第四の交換様式(アソシエーション)に希望を託した。『トランスクリティーク』のあと、より緻密に練り直した続編を準備しているという。
本書は、その続編の内容を、判りやすく一般人向けに書き直した本である。
『世界共和国へ』のなかで、柄谷はアントニオ・ネグリマイケル・ハートの「マルチチュード」の考え方は、アナキズムであり、国家の自立性を無視しており、そうであるがゆえに、マルチチュードの反乱が、国家の揚棄どころか、強化につながる危険性があるとして、警戒心を露わにしている。

◆アントニオ(トニ)・ネグリマイケル・ハート共著『マルチチュード 〜<帝国>時代の戦争と民主主義(上・下)』(NHKブックス)


ネグリとハートは、グロバリゼーションの進行とともに、国家を超えた中心を持たない分散型のネットワーク状権力が生成されつつあるといい、そうした新しい権力を従来の帝国と区別して、<帝国>と呼んだ。そして、彼らは<帝国>は、終わりなきグローバルな戦争状態に巻き込み、貧困を増大させていこうとしており、環境破壊や代表制の機能不全といった問題が噴出しつつあると主張する。
ネグリとハートが、<帝国>に対抗して、新しい民主主義の担い手として位置づけようとするのは、マルチチュードである。マルチチュードは、特異性やローカル性を保ちつつ、共同で活動できる存在である。彼らはマルチチュードに新たな変革の主体を見出し、全員による全員の統治、すなわち絶対的民主主義への可能性を探ろうとする。
賛否両論あるだろうか、これからの理想的な政治経済のあり方を考える上で、検討すべき書物と思われる。

アントニオ・ネグリ著『アントニオ・ネグリ講演集(上)<帝国>とその彼方』(ちくま学芸文庫
[rakuten:book:12105916:detail]
アントニオ・ネグリ著『アントニオ・ネグリ講演集(下)<帝国>的ポスト近代の政治哲学』(ちくま学芸文庫
[rakuten:book:12105917:detail]
スピノザフーコーアガンベンからの影響を受けつつ、グローバリゼーションが生み出した中心も外部もないネットワヘーク型支配権力<帝国>について考え、そこからの脱出口を探ろうとしたネグリが行った講演を収録。

ジョルジュ・バタイユ著『呪われた部分 〜普遍経済学の試み』(二見書房、バタイユ著作集)

呪われた部分 (ジョルジュ・バタイユ著作集)

呪われた部分 (ジョルジュ・バタイユ著作集)


ジョルジュ・バタイユ著『エロティシズムの歴史 〜呪われた部分:普遍経済学の試み:第二巻』(哲学書房)
岡本太郎の盟友バタイユによってなされた普遍経済学構築の試み。
それは、まず最初に地球に降り注ぐ太陽エネルギーの<過剰>から説き起こし、人間の経済活動(バタイユは、経済の意味を拡大し、戦争や恋愛までも、人間の経済活動として捉えようとした。)に<過剰>を<蕩尽(消尽)>するものとして捉えなおすという極めて異端的な学説だった。バタイユ理論の背景には、ポトラッチに関する民俗学的知見があった。
異端的とおもわれたバタイユ理論だが、フランスの社会学ジャン・ボードリヤールが『象徴交換と死』などで、ソシュールによるアナグラム研究とともに、バタイユ理論を導入。日本でも、カール・ポランニー派の経済人類学者であった栗本慎一郎が『幻想としての経済』で、<過剰−蕩尽>理論を取り入れるなどの影響があった。

ピエール・クロソウスキー著『生きた貨幣』(青土社

生きた貨幣

生きた貨幣

※ピエール・クロソウスキーは、バタイユとともに社会学研究会に参加したり、秘密結社アセファルに加入した人物だが、バタイユ以上に、奇怪な経済学書を残している。
クロソウスキーは、貨幣をファンタスムのシミュラークルとして捉え、情欲を流通させるものとして考える。そこから、流通に情欲の直接的対象物である「生きた貨幣」を使うことを提唱、一方、貨幣の産業的奴隷となっているとして今日のアイドル、スター、広告モデル等の流通のあり方を非難するのである。
こうしたクロソウスキーの特異な考えは、シャルル・フーリエからインスパイアされていると考えられる。

シャルル・フーリエ著『愛の新世界』(作品社)

愛の新世界

愛の新世界

※あまりにも奇怪な妄想で綴られているがゆえに、これまで流通して来なかったシャルル・フーリエの著作。
シャルル・フーリエは、空想的社会主義者として軽視された時期もあったが、シュルレアリスムロラン・バルトドゥルーズクロソウスキーらによって評価を受け、現代に復活した。
偏奇が、偏奇を産む独特の世界では、もはや正常なオリジナルなどはなく、ただシミュラークルが増殖と交換を繰り返し、特異性が抑圧されることなく賛美されており、ユートピアの極地といえる。
このことは、バタイユとの比較によって、より鮮明になるだろう。バタイユは、一方で正常と思われる規範がしっかりあり、他方でそれに対する侵犯があるという世界である。ところが、フーリエにおいては、異常のオンバレードで、正常というものがない。
バタイユクロソウスキーフーリエの本は、普通、経済学者が問題としない著作ではあるが、ロングスパンの理想世界のヴィジョンを考えるとき、考える材料になるため、あえて挙げることにした。

岩井克人著『ヴェニスの商人資本論』(ちくま学芸文庫

ヴェニスの商人の資本論 (ちくま学芸文庫)

ヴェニスの商人の資本論 (ちくま学芸文庫)


岩井克人は、本書において「ヴェニスの商人資本論」「キャベツ人形の資本論」など、ウィットに富んだ比喩で、資本主義の本質に鋭く迫る一方で、「パンダの親指と経済人類学」でカール・ポランニー派経済人類学をバッサリ斬り捨て、「不均衡動学とは」で自身の学問の概要を語っている。
その他、エッセイ、論文、書評を多数収録。

岩井克人著『資本主義を語る』(ちくま学芸文庫

※前半のエッセイ部分で、岩井は、文字どおりの意味で「ノアの洪水以前」から資本主義はあったとし、その本質を「差異の原理」に見出す。
商業資本主義は、共同体と共同体の「あいだ」、あるいは国家と国家の「あいだ」に生じる。これらの「あいだ」に仲介として商人が現れ、ある共同体(あるいは国)において珍しい品を、その差異性を高ければ高いほど、高い価格であるとして売る。
産業資本主義においては、労働者は自身の労働力を商品として売ることはできるが、生産手段を持たないがゆえに、実質賃金率は利用できるが、労働生産性からは閉め出されており、このふたつのあいだの差異から、資本家は利潤を得る。
ポスト産業資本主義においても、いち早く企業がイノベーションによって未来を先取りし、いままででは考えられなかった品物を、その差異性を貨幣価値に換算して、売る。 こうした基本の確認から始まり、本書は日本独自の資本主義とは何かといった問題にまで敷延してゆく。
後半は、今村仁司柄谷行人網野善彦水村美苗との対談を収録。

岩井克人著『貨幣論』(ちくま学芸文庫

貨幣論 (ちくま学芸文庫)

貨幣論 (ちくま学芸文庫)


マルクスの『資本論』での議論をさらに徹底化した「価値形態論」を皮切りに、「交換過程論」、「貨幣系譜論」、「恐慌論」、「危機論」という観点から、貨幣の本質に迫る。