『絵金』

絵金

絵金

 まずは、基礎知識から。
 絵金さんは、絵師・金蔵(1812〜1876)の通称で、、元々は狩野派の絵師であったが、贋作事件に巻き込まれ(というのが通説だが、樋口ヒロユキ氏による巻末の解説によると、狩野派では模写は修行の基本であり、師匠からもらった「林洞意」という名前をずっと使い続けている事から、この事件が本当にあったのか疑わしいとされる。絵金さんは経歴は謎だらけである。)、やがて放浪の絵師となり、土佐を旅して廻ったという。
 高知の赤尾では、「絵金祭り」が毎年、七月十四日から十五日、および七月第三週の土日に開かれ、商店街に絵金さんの芝居屏風絵二十三点が並べられ、それを蝋燭の灯りで愉しむ行事が行われるという。
 本書では、この二十三点の芝居屏風絵が、写真で紹介されているのだが、腕や足の断面が描かれ、血が飛び散っている絵や、絵画としての構図から来る要請だからだろうか、身体があり得ないかたちに捻じ曲がっている絵が連続している。(身体が現実にはあり得ないかたちに捻じ曲がっているというのは重要なことで、絵金さんが描いたものは、ベタな現実ではなく、超現実であることを示している。)凄いなぁ。「絵金祭り」というのは、一杯ひっかけながら、薄明かりで、こういう残虐絵を愉しむ祭りなのか。ほぅ、ほぅ、ほぅ、と私は感嘆した。西欧だったら、アルトーの残酷演劇とか、アヴァンギャルドとして出てくるものが、大衆的な祭りとして表出しているのだ。これが凄いといわずして、何が凄いというのか。
 比較対照のために、横尾忠則編『狂懐の神々』(里文出版)を引っ張り出してみる。こちらは、月岡芳年の絵画が多数載せられており、芳年を媒介にして、人間の狂気と聖なるものの本質に迫る多数の論者の文章を載せ、月岡芳年的なものを増殖させようとしている。月岡芳年という人も、浮世絵の手法で、残酷絵を描いているのだが、こうして比較してみると、絵金さんの方は、残虐という主題を扱うことによって、情念のドラマツルギーを高め、絵画というジャンルを超えて、すべてを劇空間に変貌させ、日常をスパッと切り裂いてみせるような絵師だったということがわかる。芳年と比較すると、よりダイナミックで、開かれた感じがするのである。絵金さんのが、その後、祝祭と結びついてゆくのは、祝祭が人間の持つ過剰な部分を蕩尽する性質を持つ以上、それは必然的なものであったのではないだろうか。
 資料として、(1)現代の絵師・東學、美術評論家樋口ヒロユキ、絵金蔵 蔵長・横田恵による対談、(2)解説「絵金で呑む、絵金と呑む(樋口ヒロユキ)」、(3)絵金赤岡芝居絵屏風目録、(4)絵金 略年譜を加え、初めて絵金の絵画と出会う人にも、親切な構成となっている。

【関連URL】
http://www.clippinjam.com/volume_32/cf_top.html