「聖地☆秋葉原バトルロイヤル」

お友達のsionさん(Rose&Rosary)がプロデュースしたCD「聖地☆秋葉原バトルロイヤル」がlivedoorニュースで取り上げられました。http://news.livedoor.com/article/detail/4751622/
niftyニュースでも取り上げられました。http://news.nifty.com/cs/item/detail/ameba-20100504-65089/1.htm
アメーバニュースでも取り上げられました。http://news.ameba.jp/entertainment/2010/05/65089.html
というわけで、今日は「聖地☆秋葉原バトルロイヤル」と同時リリースの「Devilish ALICE」のお話です。

今日は、Devilish ALICEのレビューです。

Devilish ALICE

Devilish ALICE

Devilish ALICEはまぎれもない傑作である。
未来はRose&Rosaryのものになるだろう。

満を期してMaid In Hell Recordsという新規レーベルを立ち上げ、Devilish ALICEで全国展開を始めたRose&Rosaryは、薔薇十字の霊性を覚醒させようとする先鋭的な意識を持ったロック・バンドであり、その重層的にしてクォリティーの高い音楽は、ゴシック美学と相俟って聴くものを圧倒させずにおかない。
Rose&Rosaryは、廃墟探検家の異名を持ち、モデル・タレント、作詞・作曲、マルチメディアデザインまでマルチな才能をみせるボーカルのSION水樹奈々小倉優子水木一郎千葉繁らの楽曲や、「ときめきメモリアルGilrs Side」「THE KING OF FIGHTERS」などの作品のレコーディングエンジニアとして知られるベースのZILL、ロックバンドZexerの元メンバーであるサポート・ギターのKUROから成るゴシック&ロリータ系のビジュアル・ロック・バンドである。

CD”Devilish ALICE”のブックレットに、廃墟の写真が使われており、一方豪奢と言える室内写真も使われているのだが、私はそこにRose&Rosaryの傾向性が象徴的に表現されていると思う。
初期のジョルジュ・バタイユの作品に『ランスの大聖堂』(酒井健訳、ちくま学芸文庫)があり、そこには「私は、たとえ廃墟になっても大聖堂は我々のなかで、死にゆく者のための母親として在り続けるだろうと思ったのである。このような大聖堂のヴィジョンこそ、独房のなかで長い苦痛にあった至福のジャンヌ・ダルクを慰めていたものにほかならない。」(15ページ)と文章が見られるのだが、Rose&RosaryでSIONがやっていることも、それと同等のことをやっているのである。

ランスの大聖堂 (ちくま学芸文庫)

ランスの大聖堂 (ちくま学芸文庫)

廃墟とは、これ以上否定しようのない廃滅の果てにあるものであり、そうした根底に立って、精神性を光り輝かせるグノーシス的な試みを、SIONは音楽によってやってのけているのである。
このアルバムのなかに収録されている11曲中9曲を、SIONが作詞・作曲を手がけており、「ROYAL」「ZODIAC」「黄泉平良坂ラブロマンス」「架音」「サンクチュアリ」「RAISONDETRE」「論破セクスアリス」「BRAVE」「PANDRA」がそれなのだが、そこでは絶対的な否定と絶対的な肯定、聖なるものと俗なるもの、禁制と侵犯、死と生命をせめぎ合せ、その劇的対立を利用して、永遠の霊性を引き出そうという手続きが試みられているのである。
どうも私が英訳を手伝ったのは、「PANDRA」の歌詞のようです。
ブックレットには英文は一切書かれていませんが、曲のなかで英語が聴こえます。
今回、Maid In Hell RecordsからはSIONプロデュースの『聖地☆秋葉原バトルロイヤル〜アキバ系アイドル究極カタログ』というオムニバスアルバムも同時リリースされたが、いわばアキバ系アイドルの先導者ともいえるSIONから、<グリュントゲーエンする廃滅の反・弁証法笠井潔著『テロルの現象学〜観念批判論序説』作品社213ページに見られる用語)>的思考が生まれてきたのは、驚異というしかない。
聖地 秋葉原☆バトルロイヤル~アキバ系アイドル 究極カタログ~

聖地 秋葉原☆バトルロイヤル~アキバ系アイドル 究極カタログ~

テロルの現象学―観念批判論序説

テロルの現象学―観念批判論序説

こうした思考は、これまで実存主義の文学や思想、シュルレアリスム、神秘学などに見られたが、文学や哲学だけに、こうした思考を独占させておく時代は終わったのであり、Rose&Rosaryの音楽によって、精神性を見失った廃墟とも言える現在から、聖なるものに至る回路が開かれたというべきだろう。