大量殺戮の背景

しかし、アルチュセールの国家のイデオロギー装置論を用いても、まだ靖国神社の全容に届かない気がする。靖国神社は、帝国主義的・軍国主義的な生産諸関係−社会諸関係を再生産するという合理的な理由だけではなく、靖国神社の崇高性・至高性の秘密は、日本兵の血を吸引し、その命を蕩尽し、屍を累積することによって成り立つという不合理性をも兼ね備えているからである。靖国神社は、空襲等によって死亡した日本国民をたてまつるところではない。あくまで、戦争に赴いた兵士の亡骸をたてまつるところである。つまり、前のめりになって、敵に突っ込んだ兵士の魂だけを回収するのである。これによって、靖国神社の威圧的な崇高性・至高性が保たれ、そこから特攻隊の精神が誕生するのである。私には靖国神社とは、合理性と不合理性のアマルガムであり、帝国主義的・軍国主義的な観点から使えるものは使えという方針で成り立っているように思えるのである。このイデオロギー装置の目的は、死の覚悟性に目覚めた究極の兵士を量産することにあったと考えられる。
オウム真理教(現アレフ)については、「無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律」をもとに、公安審査委員会が観察処分を行っている。確かに、オウム真理教地下鉄サリン事件等の事件を引き起こしたし、発覚がさらに遅れれば、あのサリン・プラントで生産したサリンの空中散布により、首都圏はもとより、日本全土に壊滅的打撃を与えた可能性すらある。だが、靖国神社はどうなのか。国の一機関として、アジア全土に及ぶ大量殺人行為を推進したのではなかったか。ならば、なぜオウム真理教が観察処分で、靖国神社は首相の公式参拝なのか。